少しタイミングが遅れたが、皆さんのコメントを紹介する。
■jumさん
私が野球を見始めて最初にファンになったのが、巨人移籍1年目の張本選手でした。
素人眼に見ても他の選手とは明らかに異なる打ち方で、
ボールを打つというより、腕と一体化したバットでボールを払うようなバッティングが眼に焼き付きました。
当時はすでに暴れん坊のイメージは薄れていましたが、乱闘シーンではいつもヘルメットをかぶって輪の中心に陣取り、なぜかとても楽しそうでした。
最近は批判を受けることが多い張本さんですが、サービス精神の旺盛な彼のこと、キャラクターに徹している面もあるのではないかなあなどと、贔屓目で観ております。
■さぶろうさん
確か張本さんは、もともとは右利き(右投げ)だったはずです。
例の指の負傷のため、左で投げるようになった……と、何かで読んだ憶えがあります。
なので、「指に障害があったために、スローイングはさらにお粗末」というより、「指に障害のせいで本来の利き腕で投げられなかったため、スローイングはお粗末」といった表現の方が適切ではないかと。
近年のOB戦(巨人阪神戦か何か)では、グラブを左にはめて(つまり、右利き用のグラブ)で出場されていました。
わたしもジャイアンツに移籍してから張本さんを見るようになったクチですが、テイクバックを取らない(というか、始動と同時にバットが水平に倒れる)あのフォームは本当に独特で、強烈に印象に残っています。
あんなスイングをするバッターは他に見たことがありません……が、強いて挙げれば、始動の雰囲気は、カープの丸選手が若干似ている気もします。
■Saiさん
小学生のころ、巨人移籍後くらいの張本選手はリアルタイムで見ていたように思います。
王選手の一本足打法同様あの独特の広いスタンスから予備動作なしで繰り出される打法をよく真似していました。
イチローと最高のバッター(最強はやはり王貞治)を競う唯一無二の存在だと思います。
■織田麻生さん
張本勲と言えば、私はたった一度昭和48年7月11日の神宮球場、ロッテ対日拓戦で生で見ています。前後期制が導入され、一位南海の日程が先に終了、ロッテが日拓に三連勝すれば逆転優勝という展開。第一戦をロッテが取り、神宮球場が満員になった第二戦です。満員の球場に張本は上機嫌。ネット裏から見ていても頬が緩んでいるのがわかりました。
そして木樽、成田から二本のホームラン。右翼ポールを直撃した打球は特に見事でした。確か5打数4安打とかではなかったか。試合は日拓が勝って、南海の優勝決定。
おそらく閑古鳥の鳴く球場で変なユニフォームを着せられていた張本にとって、最高の舞台だったのでしょう。
あの試合では後に人気者になる露崎主審のパフォーマンスの誕生シーンもあり、記憶に残るゲームです。
やはり、野球は観客が創るという部分も間違いなくありますね。
■Gファンですがさん
ロッテ移籍後のキャンプで色紙にサインをもらいました。
上記の表で年齢を確認すれば40歳だったとは。
キャンプでは当時レオン、レロンのリーブラザーズがいましたが、彼らと飛距離は変わらず柵越えを連発していました。今思えばアッパレ!
■ゴールドクラブさん
氏の著書には、左投げに転じたのは浪商時代に上級生の打撃投手をしたところ、何百球も投げたため右肩を痛め右で投げられず左投げに転向した、と読んだのを記憶している。
しかしさぶろうさんのコメントだと野球を始めたころには既に左投げだった、ということでしょうか。(小学校までは草野球で、本格的にやり始めたのは中学生だったと思う)段原中学時代の集合写真では左投げのグローブをはめており、浪商時代の話は??と思ってしまう。
確かに2008年NHK-BS「私が子どもだったころ 張本勲 熱い手」が放送された時、色紙には右手でサインしていました。
元々左利きで字を書く時と箸は右手、となったのでしょうか。
このNHKの放送の2年前あたりから、自身の被爆体験などをメディアに話すようになりました。8.15に「徹子の部屋」に出演したことも。
来年で広島長崎の原爆投下・敗戦から70年になる。
戦前生まれのプロ野球選手で戦争体験を語る人が少なくなってきた。
NPBや名球界、OBクラブなどは来年彼ら自身の体験談を載せた本を出してはどうだろうか。
戦時下での野球体験や暮し、空襲経験、疎開生活、原爆、玉音放送、敗戦直後の野球…。地域が違う20人がいたら20通りの体験がある。
昭和一ケタでも関根潤三と金田正一・広岡達朗では違う。
昭和二ケタでも野村克也・古葉竹識と王貞治・米田哲也では違う。
当然、張本勲も違う。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
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『「記憶」より「記録」に残る男 長嶋茂雄 』上梓しました。
広尾晃 野球記録の本、アマゾンでも販売しています。
私が野球を見始めて最初にファンになったのが、巨人移籍1年目の張本選手でした。
素人眼に見ても他の選手とは明らかに異なる打ち方で、
ボールを打つというより、腕と一体化したバットでボールを払うようなバッティングが眼に焼き付きました。
当時はすでに暴れん坊のイメージは薄れていましたが、乱闘シーンではいつもヘルメットをかぶって輪の中心に陣取り、なぜかとても楽しそうでした。
最近は批判を受けることが多い張本さんですが、サービス精神の旺盛な彼のこと、キャラクターに徹している面もあるのではないかなあなどと、贔屓目で観ております。
■さぶろうさん
確か張本さんは、もともとは右利き(右投げ)だったはずです。
例の指の負傷のため、左で投げるようになった……と、何かで読んだ憶えがあります。
なので、「指に障害があったために、スローイングはさらにお粗末」というより、「指に障害のせいで本来の利き腕で投げられなかったため、スローイングはお粗末」といった表現の方が適切ではないかと。
近年のOB戦(巨人阪神戦か何か)では、グラブを左にはめて(つまり、右利き用のグラブ)で出場されていました。
わたしもジャイアンツに移籍してから張本さんを見るようになったクチですが、テイクバックを取らない(というか、始動と同時にバットが水平に倒れる)あのフォームは本当に独特で、強烈に印象に残っています。
あんなスイングをするバッターは他に見たことがありません……が、強いて挙げれば、始動の雰囲気は、カープの丸選手が若干似ている気もします。
■Saiさん
小学生のころ、巨人移籍後くらいの張本選手はリアルタイムで見ていたように思います。
王選手の一本足打法同様あの独特の広いスタンスから予備動作なしで繰り出される打法をよく真似していました。
イチローと最高のバッター(最強はやはり王貞治)を競う唯一無二の存在だと思います。
■織田麻生さん
張本勲と言えば、私はたった一度昭和48年7月11日の神宮球場、ロッテ対日拓戦で生で見ています。前後期制が導入され、一位南海の日程が先に終了、ロッテが日拓に三連勝すれば逆転優勝という展開。第一戦をロッテが取り、神宮球場が満員になった第二戦です。満員の球場に張本は上機嫌。ネット裏から見ていても頬が緩んでいるのがわかりました。
そして木樽、成田から二本のホームラン。右翼ポールを直撃した打球は特に見事でした。確か5打数4安打とかではなかったか。試合は日拓が勝って、南海の優勝決定。
おそらく閑古鳥の鳴く球場で変なユニフォームを着せられていた張本にとって、最高の舞台だったのでしょう。
あの試合では後に人気者になる露崎主審のパフォーマンスの誕生シーンもあり、記憶に残るゲームです。
やはり、野球は観客が創るという部分も間違いなくありますね。
■Gファンですがさん
ロッテ移籍後のキャンプで色紙にサインをもらいました。
上記の表で年齢を確認すれば40歳だったとは。
キャンプでは当時レオン、レロンのリーブラザーズがいましたが、彼らと飛距離は変わらず柵越えを連発していました。今思えばアッパレ!
■ゴールドクラブさん
氏の著書には、左投げに転じたのは浪商時代に上級生の打撃投手をしたところ、何百球も投げたため右肩を痛め右で投げられず左投げに転向した、と読んだのを記憶している。
しかしさぶろうさんのコメントだと野球を始めたころには既に左投げだった、ということでしょうか。(小学校までは草野球で、本格的にやり始めたのは中学生だったと思う)段原中学時代の集合写真では左投げのグローブをはめており、浪商時代の話は??と思ってしまう。
確かに2008年NHK-BS「私が子どもだったころ 張本勲 熱い手」が放送された時、色紙には右手でサインしていました。
元々左利きで字を書く時と箸は右手、となったのでしょうか。
このNHKの放送の2年前あたりから、自身の被爆体験などをメディアに話すようになりました。8.15に「徹子の部屋」に出演したことも。
来年で広島長崎の原爆投下・敗戦から70年になる。
戦前生まれのプロ野球選手で戦争体験を語る人が少なくなってきた。
NPBや名球界、OBクラブなどは来年彼ら自身の体験談を載せた本を出してはどうだろうか。
戦時下での野球体験や暮し、空襲経験、疎開生活、原爆、玉音放送、敗戦直後の野球…。地域が違う20人がいたら20通りの体験がある。
昭和一ケタでも関根潤三と金田正一・広岡達朗では違う。
昭和二ケタでも野村克也・古葉竹識と王貞治・米田哲也では違う。
当然、張本勲も違う。
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