これほどダイナミックなフォームの投手は、後にも先にも見たことがない。「ドーン」という捕手のミットを突き破るような音は、今も耳に残っている。
1975年の春先、私はこの投手を「山口太一」だと思っていた。
朝日新聞の日曜版で有望新人選手をレポートした。その記事の中で同名の漫画家が「山口太一は速いぞ」「山口太一はすごいぞ」と描いていたのだ(小さく“本当は山口高志です”と書いていたが)。

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当時、阪急は憎たらしいほど強かった。山田久志、足立光宏の両下手投げエース、福本豊、加藤秀司、長池徳二。
一人ひとりの選手もすごかったが、チームとしても隙が無かった。
このチームに山口が加わったのだ。



何度か西宮球場周辺で姿を見かけた。横幅は広かったが、私よりも背が低かった。

その短い体をゆっくりと後ろにそらせ、腕を振りかぶると、体をくの字に曲げてボールを投げ込む。
その体の曲げ方が半端ではなかった。まるで地面に体を叩きつけるようだった。上体のエネルギーを右腕の指先の一点に集約させていたのだろう。
前年、公開されたアニメ宇宙戦艦ヤマトの「波動砲」を思わせた。
一球一球このフォームで投げるのだ。「どおりゃー」という声が聞こえそうだった。

指先を離れた山口の球は、ホップしながら捕手中沢伸二のミットにぶつかった。どこまでも飛んでいきそうな勢いの球を、中沢が身を挺して止めている、という感があった。「ドーン」という何とも痛そうな音がした。

後年、山口の弟子筋の藤川球児もホップする快速球を投げたが、印象としては山口の方が重たいように感じられた。

大阪球場で山口の投球を何度も見たが、南海の各打者は全く歯が立たなかった。
ただ一人野村克也は速球の合間に投げるカーブにタイミングを合わせて軽打し、山口を打ち崩していたが、その後、バッテリーが配球を変えたからか、全く打てなくなった。

山口が本当に速かったのはデビューした75年の後半だったように思う。前後期制の前期を制した阪急は、後期には山田久志が不振に陥り、山口がエース格になった。
山口は速球で押したが、ほとんど打たれなかった。

ただ、山口は三振をばったばったと奪ったわけではない。当時から速球一本で空振りを奪うのは難しかったのだ。また、制球は良くなかった。あの投げ方だから四球は付き物だった。

圧巻はこの年の日本シリーズ、初優勝に沸く広島東洋カープを山口は寄せ付けなかった。

第1戦の8回、先発足立が8回につかまって3-3になってマウンドに上がった山口は、一死一、三塁から、代打山本一義、水沼四郎、外木場義郎を連続三振。3.2回を投げて1被安打6三振、3四球。引分け。68球。

第3戦は先発して9回4自責点で完投勝利。広島は5回までノーヒット。これは記録を生むかと思えたが、6回に三村が初安打を打ってから4失点した。まるで高校野球のように広島の各打者はバットを短く持っていた。157球。

第4戦は7回から救援登板して延長戦も投げ抜き7回110球。凄まじい酷使。引分け。

第5戦も最終化に登板して三者凡退11球。

第6戦はまた5回から救援し4回52球を投げた。

まるで昭和30年代のような快投だった。所在無げに空振りをするカープナインの困惑した表情は今も記憶に焼き付いている。阪急の4勝2分け、カープは1勝もできなかった。

山口は5試合24.2回で21三振6自責点ERA2.16。408球。日本シリーズMVP。このシリーズでは山口は打者としても10打数4安打だった。

山口は以後も先発救援の掛け持ちで投げ続けた。
投球は荒っぽかったが、スタミナは抜群。不死身ではないかと思えた。
しかし5年目にアキレスけんを故障、救援に転向したがわずか8年で消えていった。

「昭和の野球」を体現した最後の投手ではないか。
今ならクローザーとして活躍したことだろう。

短くも雄々しく投げた投手。私は山口高志をこの目で見ることができて幸いだったと思う。

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