長谷川晶一『イチローのバットがなくなる日』




今年ほど、野球と言うスポーツが「道具」を使うスポーツだということを、痛感した年はない。NPBは使用するボールの仕様がほんの数パーセント変化しただけで、その内容を大きく様相を変化させたのだ。
例えば、プロ野球が、木製バットをやめて金属製バットに統一されたら、野球はどれだけ様変わりするだろう。考えるだに恐ろしい気もする。ひょっとすると、そんな野球は見たくなくなるかも知れない。
この本は、そうした疑念が決して夢物語ではないことを、我々に悟らせてくれる。

一昔前まで、一流の野球選手が使用するバットと言えば、アオダモ製だった。北海道の日高地方に自生するものを最高級品とするアオダモは、地元の業者によって伐採され、角材に加工されて大手、中小の加工業者に運ばれる。角材はここで職人の手で削られ、バットになる。バット素材に適した木は他にホワイトアッシュ、ハードメイプルなどがあるが、目が積んで硬くてしなりがあるアオダモは、とくに日本人打者に愛された。イチローはその代表的存在であり、アメリカに渡ってからも1年を除いてずっとアオダモのバットを使い続けていると言う。

しかし、アオダモは生育が遅い上に高さ10m程度にしかならない小木で、採算性が非常に悪い。植樹などのキャンペーンは行われているが供給は不安定だった。その上、アオダモの資源化の旗振り役だった北海道のバット業者が死亡、会社も倒産し、アオダモはバット素材としては、消滅寸前なのだと言う。かろうじて命脈を保っているのは、イチローが使い続けているからで、彼が引退すると恐らくは供給不能になるのだと言う。

バット素材は古くはトネリコが使われ、それがアオダモ、さらにホワイトアッシュ、ハードメイプルへと移行している。アオダモがなくなっても、木製バットが直ちになくなる事を意味する訳ではない。しかし、自然素材に頼ったバット素材の供給状況は極めて心もとないものであり、多くのビジネスを度外視した人々の熱意によってささえられている。アドバイザリースタッフ契約をしているプロ選手は、無料で貴重なバットを提供してもらっていることの有り難みを十分に理解しているとはいえない。

プロ野球人気に陰りがでたり、経済環境が悪化したら、バットはたちまち金属製に置き換わるかもしれない。そんな危惧を抱かせる本だった。

作者はドラマ、映画原作なども書く売れっ子ライターだが、アオダモは、彼がフリーランスになったときから個人的に追いかけてきたテーマ。やや感傷的ではあるが、誠実で瑞々しい文体。アオダモをめぐる状況を鮮やかに浮かび上がらせている。


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