昨日の甲子園2回戦、健大高崎と利府の試合。健大高崎の応援席のレポーターが、野球部員のユニフォームの袖を取って
「このユニフォームとベンチ入りしている選手のユニフォームはデザインが違います。ベンチ入りする選手だけは漢字のユニフォームを着ることができるのです」と言った。
ユニフォームと言うのは、同じデザインの服をみんなで着用することで、連帯感や協調性を生むためのアイテムだ。
そのユニフォームを区別すると言うのだ。この学校はチームとしての一体感を醸成する気はないらしい。
よく「ベンチも応援席も心を一つにして応援しています」と言うが、それが口先だけであるのは、こういうことからも察することができる。

相撲の世界は番付一枚違えば天国と地獄。
十両以上の関取衆は繻子のぴかぴか光った廻しを締めるが、幕下以下の取的は木綿の黒や茶色の汚い廻しを締める。髷も関取は大イチョウ、取的は栗髷。
一目で強いか弱いかが分かるようになっている。

プロであり、勝負の世界である相撲の世界はそれでいいだろうが、教育を標榜している高校野球がこんなことをしていいのか。

たかが野球ができるかどうか(しかも16~7歳の時点で)で、区別される。球場周辺をうろついていても、
「あいつは野球が下手なんだ」
「ベンチ入りできなかったんだ」
とわかるように、ことさらする。
こうしたことが、教育の名のもとに堂々と行われ、公共放送が美談のように伝えているのだ。

そもそも野球は9人(DH入れても10人)でしかやらない。控え選手を含めても15人、怪我をすること考えても20人いれば十分なはずだ。
部員総数100人を超すような高校は、何を考えているのだろう。

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野球強豪校は、ボーイズやリトルリーグ、中学野球の有望な選手を指導者から紹介してもらう。その指導者には謝礼をする。また有望な生徒は特待生として学費を免除する。小遣いや寮での生活費を与えることもある。
指導者は、そうした有望選手と抱き合わせで、さほど有望でない選手も強豪校に押し込む。そうした選手の父兄から謝礼を受け取ることも多い。
抱き合わせで入った生徒は、当然、学費も寮費も正規の金額を親が支払う。さらに、遠征の費用や野球部の設備費なども負担することがある。寄付も求められる。
親は欲目があるから、「ひょっとするとうちの子、芽が出るかも」と思ってそういう出費をする。
実際はそうした出費の一部は、有望な選手の「養育費」に使われている。
要するに「お客さん」なのだ。

しかし、選手の素材の違いは明らかだから、高校の指導者がそういう「抱き合わせ、無印」を抜擢するケースは少ない。
有力選手を引き立てていく中で、「無印」は、早々に選別され、「声だし」「グランド整備」などに従事させられる。
それどころか「レギュラー組」の身の回りのお世話をさせられることもあると言う。相撲の付け人と同じである。同い年や一つ二つ年が違うだけなのに、家来のようなことをさせられる。

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「無印」にも練習試合などでチャンスが回ってくることもあるが、極めて少ないチャンスをつかむことができる生徒はわずかだ。

野球部を辞めれば高校にいる意味が無くなる。学費や何やかやを払い込んでくれた親にも申し訳ない。だから辞めるに辞められない。「無印」はこうして灰色の3年間を送る。

高校野球のアルプススタンドでは、こういう「無印」が、真っ白なユニフォームを着て灰色のハートで声を出しているのだ。


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