多くの生徒は入学直後に、自分たちの境遇に気が付く。
特待生たちのずば抜けた才能を目の当たりにして「これはかなわない」と諦める。それからは「修行の一環」とひたすら忍従の時を過ごすか、惰性で過ごすか、よからぬことをするか。多くはそれらがないまぜになった時間を過ごす。いじめや暴力沙汰はそうした中から生まれる。
※読者、kabuさんより紹介いただいたセルジオ越後さんの記事 サッカーよ、お前もか・・・
【セルジオ越後コラム】部活から補欠をなくす方法
そういう高校生活を過ごした人を何人か知っているが、異口同音に言うのは「試合には出られなかったけれど、辛抱することを学んだ有意義な3年間だった」ということだ。
彼らの健気さは麗しいと思うし、ポジティブに受け止めることができるのは尊敬に値する。
しかし、私が球児の親なら、事態を知ればすぐに子供を辞めさせる。十代の頃から「負け犬根性」が付くのが怖いからだ。しかも金まで払って。
こうした状況は、ずっと続いているから関係者は何とも思わないだろうが、異常である。
「教育」の美名のもと、野球カースト制を敷くのは、人権的に問題がある可能性さえある。
もちろん、高校野球の旧弊なシステムは近年、改革されつつある。開明的、民主的な指導者も増えたと言う。
しかし、スタンドにいる汚れ一つないユニフォームを着た野球部員を見る限りは、高校野球の本質は何も変わっていないと思う。

何でもアメリカが良いとは言わないが、アメリカでは子どもを少年野球チームに入れた親は、倅がレギュラーになれないと知るや、即座に子どもを辞めさせると言う。
レベルが高すぎたのなら、より弱いチームに入れる。そうしてでも試合に出場する機会を確保し、活躍するチャンスを与えようとする。
親たちが一番気にするのは「自己肯定感」が損なわれることだ。子どもの頃から「俺はあいつにかなわない」「劣った人間だ」と思うことがあってはならない。
人生は長い。何度も挫折があるだろうし、数えきれないほど「競争」や「挑戦」をしなければならない。最初から「負け犬根性」がついていては、絶対に乗りきることはできない。
だから、レベルがどうであれ、「自分が主役」「自分がヒーロー」になれるステージを親子で必死に探すのだ。
日本では最初から競争を降りた「負け犬」は、それなりに住む場所と餌を与えられ、安穏と暮らすことができる。プライドの角を折って丸めてしまえば、あとは楽に生きることができる。「自己肯定感」が強すぎる人間は、むしろ生き難い。
NPB出身の野手がMLBでなかなか活躍できない一因は、エリートであっても日本の選手は、どこかでプライドの角を折って、負け犬根性が沁みているからだと思う。

良いことか悪いことかわからないが、日本社会はアメリカ式に変わろうとしている。
「負け犬根性」のついた平和な日本人は、どんどん片隅へ追いやられようとしている。
そして日本的に言えば「厚かましい」、自己肯定感の強い人間が、のし上がろうとしている。
アルプススタンドで声を嗄らして赤の他人を応援している「無印」たちは、「我慢していればいいことがある」と思っているかもしれないが、50代半ばのおじさんから言わせれば、「君ら、こんなことしててええんか」と言いたい。
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彼らの健気さは麗しいと思うし、ポジティブに受け止めることができるのは尊敬に値する。
しかし、私が球児の親なら、事態を知ればすぐに子供を辞めさせる。十代の頃から「負け犬根性」が付くのが怖いからだ。しかも金まで払って。
こうした状況は、ずっと続いているから関係者は何とも思わないだろうが、異常である。
「教育」の美名のもと、野球カースト制を敷くのは、人権的に問題がある可能性さえある。
もちろん、高校野球の旧弊なシステムは近年、改革されつつある。開明的、民主的な指導者も増えたと言う。
しかし、スタンドにいる汚れ一つないユニフォームを着た野球部員を見る限りは、高校野球の本質は何も変わっていないと思う。

何でもアメリカが良いとは言わないが、アメリカでは子どもを少年野球チームに入れた親は、倅がレギュラーになれないと知るや、即座に子どもを辞めさせると言う。
レベルが高すぎたのなら、より弱いチームに入れる。そうしてでも試合に出場する機会を確保し、活躍するチャンスを与えようとする。
親たちが一番気にするのは「自己肯定感」が損なわれることだ。子どもの頃から「俺はあいつにかなわない」「劣った人間だ」と思うことがあってはならない。
人生は長い。何度も挫折があるだろうし、数えきれないほど「競争」や「挑戦」をしなければならない。最初から「負け犬根性」がついていては、絶対に乗りきることはできない。
だから、レベルがどうであれ、「自分が主役」「自分がヒーロー」になれるステージを親子で必死に探すのだ。
日本では最初から競争を降りた「負け犬」は、それなりに住む場所と餌を与えられ、安穏と暮らすことができる。プライドの角を折って丸めてしまえば、あとは楽に生きることができる。「自己肯定感」が強すぎる人間は、むしろ生き難い。
NPB出身の野手がMLBでなかなか活躍できない一因は、エリートであっても日本の選手は、どこかでプライドの角を折って、負け犬根性が沁みているからだと思う。

良いことか悪いことかわからないが、日本社会はアメリカ式に変わろうとしている。
「負け犬根性」のついた平和な日本人は、どんどん片隅へ追いやられようとしている。
そして日本的に言えば「厚かましい」、自己肯定感の強い人間が、のし上がろうとしている。
アルプススタンドで声を嗄らして赤の他人を応援している「無印」たちは、「我慢していればいいことがある」と思っているかもしれないが、50代半ばのおじさんから言わせれば、「君ら、こんなことしててええんか」と言いたい。
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最後まで控えで自己否定感のある人間よりも、生き抜ける場を見つけてイキイキした自己肯定感ある人間の方がいいに決まってます。
しかしながら、自分より劣る人ばかりの世界に行き王様になりたがる、下積みを否定してすぐ結果を求める、挫折しそうな事は全て避ける、とします。こうしたことばかりになると、新しいカーストを生み、頭で考えて工夫してやっと会得する尊さを軽んじ、好きな仕事ややりたい仕事ではないからすぐ辞めるを繰り返す、そんな社会にならないか心配でもあります。