1966年は2回ドラフト会議が行われた。
9月の一次ドラフトは社会人と国体不出場の高校生が対象。

通算安打=Hと通算勝利数=W そしてH=1ポイント、W=10ポイント、セーブ5ポイントでチームごと、リーグごとのポイントをつけた。グレー地は入団拒否。えんじ色は移籍。移籍後の記録は加算していない。ただし元のチームに復帰した時はその数字も加算。
要するにドラフトで獲得した選手が、直接的にどれだけ貢献したかを数値化。
1966年一次

1966-01


第1回のドラフト会議の結果。
ドラフトを二つに分けたためか全体に低調。

巨人は山下司が17安打したのみ。中日の大場も活躍せず。二人とも移籍。阪神は江夏豊が1位、広島は三村敏行がいた。そしてサンケイは1位の奥柿は控え捕手に終わるが、翌年の新人王に輝いた武上四郎が8位、巨人でも活躍した浅野が9位。スカウトの手柄と言えるかどうか。大洋の松岡はスカウトとして活躍。

南海は、後に阪神で右活躍する左の上田、そしてレギュラーの塁手になる桜井がいる。しかし他のパリーグ球団は殆ど戦力を獲得していない。
西鉄の柳田、村上は移籍後に活躍した。
近鉄に至っては11人中10人が辞退。1位の投手加藤も全くふるわなかった、
東京は左の強打者得津が出た(kint76さん感謝)。

11月の二次ドラフトは社会人と国体出場の高校生が対象。

1966-02


巨人は立教大で三冠王に輝いた槌田誠を取ったが、森昌彦の牙城に迫れず。中日、阪神は低調。広島の一位は巨人西本聖の兄。交通事故で大成せず。サンケイの加藤は日本ハムに移籍してからパを代表する捕手になる。
中で大洋だけが山下律夫、平松とエース級2枚を得た。

東映の高橋と大下はそれぞれ巨人、広島に移籍して活躍。阪急5位の阪本は福本豊の前のリードオフマンになった。東京が指名した作新学院の八木沢は、指導者としても活躍。

こうしてみると2回に分ける意味はあまりなかった。翌年から1回に戻った。

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1969年山下律夫、全登板成績



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