69年に正力松太郎が死に、讀賣新聞、巨人の体制が変わった。正力は実質的にはとっくに引退していたが、それでも創業者(中興の祖だが)の存在は大きかった。
讀賣新聞はその頃、朝日新聞を急追していた。
各地で強引な勧誘を行いトラブルを起こしていた。74年に「中部読売新聞事件」という不当廉売にかかわる事件を起こした。
また、大阪進出時には、産経新聞に新聞用紙を供給していた紙商社を懐柔し、産経新聞は一時、新聞発行が停止する危機に見舞われた。
新聞社と言う企業は、「人の悪事は鋭く突くが、自分たちの悪事は口を拭って黙っている」性質を持っていた。また「人に隠れてずるをする」性格もあった。それは、讀賣だけではなかったが、特にこの時期から讀賣の行儀の悪さが際立ち始めた。
その手段を選ばぬ強引さ、えげつなさが、巨人で現れたのが「江川事件」だ。
ドラフトによって「好きな選手を取ることができなくなった」巨人は、ドラフト制度の欠陥をついて江川卓を取ろうとした。
この事件が深刻なのは、讀賣新聞が「人権」や「体制の不備」など振りかざして巨人を全面的に支持する論陣を張ったことである。
「ドラフト改革のために誰かがやらなければならなかった」「敢えて壮挙に出た」
他のすべてのメディアが反対に回る中で、讀賣新聞は孤立した。
「金子裁定」が降りるとともに「ドラフト改革」の旗印をあっさり降ろしたことでもわかるように、巨人の言い分は単なる「口実」に過ぎなかった。
このお粗末な巨人の主張を讀賣新聞が一体となって援護したことで、多くの人々は「メディアが真実を捻じ曲げた」と感じた。
新聞メディアの信頼性を毀損したと言う点で、「江川事件」は、スポーツ界にとどまらない深刻な傷を残したと言えよう。
巨人は、その後もルールを実質的に骨抜きにするようなことをいくつもしてきた。しかし「江川事件」のような愚挙は二度と起こさなかった。正しいと言うのであれば、何度でもやればよいと思うのだが、巨人の首脳も内心「あれはまずかった」と思ったのだろう。
今年出た「渡邊恒雄とプロ野球」には、渡邉恒雄は江川事件の幕引き、金子裁定の筋書きを書いた、と受け取られる一節がある。
何でも「俺がやったんだ」と言いたいこの人の性格からして割り引いて受け取る必要があると思うが、以後の巨人が表、裏でやったさまざまな事件に渡邊恒雄が関与しているのは間違いないだろう。
そうした事件の多くは「制度、法の欠陥を衝く」あるいは「制度そのものを変える」ことで我田引水を図ったものだ。
渡邉恒雄は、法律家ではないが法律に明るい。事あるごとに「裁判をすれば俺は勝てる」というが、そうした一面が、巨人の行動にも反映されている。
巨人以外の球団が公明正大だったわけではもちろんない。
60年代に入り、巨人の勢力が強大になる中で、他球団、特にパリーグは生き残りをかけて選手獲得に奔走した。
その代表格が南海だ。この球団は鶴岡一人が実質的なGMとなって剛腕を振るった。西鉄がそれに追随した。裏金、そして地方の顔役との癒着など、表には出せないコネクションもあったものと思われる。
巨人にとっては、それは鬱陶しい存在ではあったろう。
69年、正力松太郎が逝去した年にプロ野球界を震撼させる「黒い霧」事件が起こるが、これをスクープしたのが讀賣新聞、報知新聞だったことは、何事かを物語っているかもしれない。
70年代後半から、巨人にとって最大のライバルは、阪神でも、中日でもなく、西武になった。
鶴岡一人的な手法の後継者たる根本陸夫が率いる西武は、有望選手を傘下のプリンスホテルに入社させ、ドラフト外で入団させると言う「ルール破り」で多くの選手を独占した。
親会社の企業規模で見ても、西武グループは讀賣新聞よりはるかに大きい。
そして辣腕ぶりでも、悪質さでも、巨人を上回っていた。
西武がライオンズを保有できたのは、巨人がそれを認めたからだ。その見返りにライオンズはドラフト前々日に江川の交渉権が無くなったことを認めた。実質的に「空白の一日」は西武から巨人に与えられたのだが、巨人は結局、これを活かすことができなかった。
そして以後、NPBは、西武を中心としたパリーグの隆盛と、守勢に回った巨人とのせめぎ合いで今日まできたのだ。
根本陸夫は西武の後ダイエーに移り、同様の強引な手法でホークスを強大にした。
しかしその後は、日本の企業そのものが体質的な転換を迫られた。コンプライアンス意識を高め、ディスクロージャーに務めることが求められるようになった。
お客を集めるためには、人気選手を獲得するだけでなく、マーケティング手法を駆使することが必要となった。地域に密着したビジネススタイルが、東京、大阪以外の球団では必須となった。
そんな中で、巨人は陳腐化しつつある。そういう現況が、ドラフトの状況ひとつとっても見て取れるのだ。
さて、こういう巨人批判を書くと、何人かの巨人ファンと思しき人から執拗な抗議、反論をいただく。
私は巨人ほどではないが他球団の批判もしているが、他球団の場合、ファンは「そうなんだよなあ」「言えてるよなあ」という反応が多い。
選手に対する不当な評価や事実関係の誤りについてはもちろん抗議の声は上がるが、球団そのものの姿勢については、むしろファンの方が批判的だったりする。
しかし巨人ファンは、讀賣ジャイアンツのチーム運営、作戦、企業姿勢などすべてについて批判をしてほしくないようだ。とりわけ私のように「巨人嫌い」を標榜している人間には。
また「うちだけじゃなく、よそもやっている」という反論も多い。不正や拙さは認めたうえで、なお擁護しようとするのだ。
恐らくある種の巨人ファンは、巨人だけではなく「讀賣新聞的なるもの」すべての支持者ではないのか。巨人を応援しているだけではなく、讀賣新聞の主張もまるごと支持しているのではないか。予断だが「原発推進」「憲法改正」などもセットで支持しているのではないか。
これは他球団のファンには見られないことだ。
日本ハムしか食べないファイターズファン、西武電鉄しか乗らないライオンズファン、ソフトバンクのスマフォしか持たないホークスファン、ヤクルトしか飲まないスワローズファンはいないだろう。
もっとも中日新聞、東京新聞しか読まないドラゴンズファンはいるだろうが、その影響力は讀賣新聞しか読まない巨人ファンよりはるかに小さいだろう。
巨人は、そういう意味でも本当に特異で、不思議なチームだ。
またいろいろなコメントが来ることを楽しみに、一気に書いた。
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1972年堀内恒夫、全登板成績
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その手段を選ばぬ強引さ、えげつなさが、巨人で現れたのが「江川事件」だ。
ドラフトによって「好きな選手を取ることができなくなった」巨人は、ドラフト制度の欠陥をついて江川卓を取ろうとした。
この事件が深刻なのは、讀賣新聞が「人権」や「体制の不備」など振りかざして巨人を全面的に支持する論陣を張ったことである。
「ドラフト改革のために誰かがやらなければならなかった」「敢えて壮挙に出た」
他のすべてのメディアが反対に回る中で、讀賣新聞は孤立した。
「金子裁定」が降りるとともに「ドラフト改革」の旗印をあっさり降ろしたことでもわかるように、巨人の言い分は単なる「口実」に過ぎなかった。
このお粗末な巨人の主張を讀賣新聞が一体となって援護したことで、多くの人々は「メディアが真実を捻じ曲げた」と感じた。
新聞メディアの信頼性を毀損したと言う点で、「江川事件」は、スポーツ界にとどまらない深刻な傷を残したと言えよう。
巨人は、その後もルールを実質的に骨抜きにするようなことをいくつもしてきた。しかし「江川事件」のような愚挙は二度と起こさなかった。正しいと言うのであれば、何度でもやればよいと思うのだが、巨人の首脳も内心「あれはまずかった」と思ったのだろう。
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そうした事件の多くは「制度、法の欠陥を衝く」あるいは「制度そのものを変える」ことで我田引水を図ったものだ。
渡邉恒雄は、法律家ではないが法律に明るい。事あるごとに「裁判をすれば俺は勝てる」というが、そうした一面が、巨人の行動にも反映されている。
巨人以外の球団が公明正大だったわけではもちろんない。
60年代に入り、巨人の勢力が強大になる中で、他球団、特にパリーグは生き残りをかけて選手獲得に奔走した。
その代表格が南海だ。この球団は鶴岡一人が実質的なGMとなって剛腕を振るった。西鉄がそれに追随した。裏金、そして地方の顔役との癒着など、表には出せないコネクションもあったものと思われる。
巨人にとっては、それは鬱陶しい存在ではあったろう。
69年、正力松太郎が逝去した年にプロ野球界を震撼させる「黒い霧」事件が起こるが、これをスクープしたのが讀賣新聞、報知新聞だったことは、何事かを物語っているかもしれない。
70年代後半から、巨人にとって最大のライバルは、阪神でも、中日でもなく、西武になった。
鶴岡一人的な手法の後継者たる根本陸夫が率いる西武は、有望選手を傘下のプリンスホテルに入社させ、ドラフト外で入団させると言う「ルール破り」で多くの選手を独占した。
親会社の企業規模で見ても、西武グループは讀賣新聞よりはるかに大きい。
そして辣腕ぶりでも、悪質さでも、巨人を上回っていた。
西武がライオンズを保有できたのは、巨人がそれを認めたからだ。その見返りにライオンズはドラフト前々日に江川の交渉権が無くなったことを認めた。実質的に「空白の一日」は西武から巨人に与えられたのだが、巨人は結局、これを活かすことができなかった。
そして以後、NPBは、西武を中心としたパリーグの隆盛と、守勢に回った巨人とのせめぎ合いで今日まできたのだ。
根本陸夫は西武の後ダイエーに移り、同様の強引な手法でホークスを強大にした。
しかしその後は、日本の企業そのものが体質的な転換を迫られた。コンプライアンス意識を高め、ディスクロージャーに務めることが求められるようになった。
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私は巨人ほどではないが他球団の批判もしているが、他球団の場合、ファンは「そうなんだよなあ」「言えてるよなあ」という反応が多い。
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しかし巨人ファンは、讀賣ジャイアンツのチーム運営、作戦、企業姿勢などすべてについて批判をしてほしくないようだ。とりわけ私のように「巨人嫌い」を標榜している人間には。
また「うちだけじゃなく、よそもやっている」という反論も多い。不正や拙さは認めたうえで、なお擁護しようとするのだ。
恐らくある種の巨人ファンは、巨人だけではなく「讀賣新聞的なるもの」すべての支持者ではないのか。巨人を応援しているだけではなく、讀賣新聞の主張もまるごと支持しているのではないか。予断だが「原発推進」「憲法改正」などもセットで支持しているのではないか。
これは他球団のファンには見られないことだ。
日本ハムしか食べないファイターズファン、西武電鉄しか乗らないライオンズファン、ソフトバンクのスマフォしか持たないホークスファン、ヤクルトしか飲まないスワローズファンはいないだろう。
もっとも中日新聞、東京新聞しか読まないドラゴンズファンはいるだろうが、その影響力は讀賣新聞しか読まない巨人ファンよりはるかに小さいだろう。
巨人は、そういう意味でも本当に特異で、不思議なチームだ。
またいろいろなコメントが来ることを楽しみに、一気に書いた。
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1972年堀内恒夫、全登板成績
広尾晃、3冊目の本が出ました。
まさにその通りでしょう。
イコール、これが日本人の大半であるからこそ、
プロ野球が国民的娯楽として発展したのもまた事実ですね。