中村剛也が歴史的な長距離打者であることは「ベースボールチャンネル」のコラムで紹介した。彼はどんなキャリアSTATSを描くのか考えてみた。
中村剛也とはタイプもキャラクターも全く違うが、大下弘は、野球史的に見て中村とよく似た位置づけにいると思う。
二人のキャリアSTATSを年齢をそろえて並べてみた。HR%は、リーグの総本塁打数に占める本塁打数。大下の時代には7~8球団あった時期があるが、その時代のデータは6球団に補正している。

中村は大阪桐蔭高から2002年に西武入り、20歳で一軍デビュー、大下は明治大学を出て24歳で一軍デビュー。
キャリアは全く違うが24-25歳でブレークしている。
大下は1946年に20本塁打、当時のNPB記録をマーク、リーグ全体の本塁打数は205本だったから1割近く(9.5%)の本塁打を一人で打った(当時は8球団、6球団に補正すると12.64%)。
これは永らくNPBの記録だった。55本塁打を打った王貞治(7.6%)、ローズ(5.4%)、カブレラ(6.3%)も及ばない。
この記録を65年ぶりに破ったのが2011年の中村だったのだ。彼はリーグ本塁打数の10.57%の本塁打を一人で打った。補正値では大下に及ばないが、突出度でほぼ肩を並べたと言ってよいだろう。
ちなみに2013年、60本を打ったバレンティンは8.4%だった。
ダンディで女性によくもてた遊び人の大下と、ずんぐりした中村、左の外野手の大下と、右の内野手の中村は共通点は殆どないように思えるが、野球界のトレンドに逆らって「空気を読まない」大記録を残したという一点で通じるところがあると思う。
時代の閉塞した空気を破る力があったと言っても良い。
怪我や故障が多いために、31歳の中村はまだ1000本安打に達していない。その体形からしても山﨑武司のように長く活躍できるとは思えない。
仮に大下と同じ37歳までプレーしたとして、安打数は1500本に届くかどうか、本塁打数も450本前後だろう。
しかし彼は傑出度の高さで殿堂入りを考えても良い打者だと思う。
一年でも多く、傑出した本塁打を打ち続けてほしい。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。
1972年坂井勝二、全登板成績
広尾晃、3冊目の本が出ました。


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キャリアは全く違うが24-25歳でブレークしている。
大下は1946年に20本塁打、当時のNPB記録をマーク、リーグ全体の本塁打数は205本だったから1割近く(9.5%)の本塁打を一人で打った(当時は8球団、6球団に補正すると12.64%)。
これは永らくNPBの記録だった。55本塁打を打った王貞治(7.6%)、ローズ(5.4%)、カブレラ(6.3%)も及ばない。
この記録を65年ぶりに破ったのが2011年の中村だったのだ。彼はリーグ本塁打数の10.57%の本塁打を一人で打った。補正値では大下に及ばないが、突出度でほぼ肩を並べたと言ってよいだろう。
ちなみに2013年、60本を打ったバレンティンは8.4%だった。
ダンディで女性によくもてた遊び人の大下と、ずんぐりした中村、左の外野手の大下と、右の内野手の中村は共通点は殆どないように思えるが、野球界のトレンドに逆らって「空気を読まない」大記録を残したという一点で通じるところがあると思う。
時代の閉塞した空気を破る力があったと言っても良い。
怪我や故障が多いために、31歳の中村はまだ1000本安打に達していない。その体形からしても山﨑武司のように長く活躍できるとは思えない。
仮に大下と同じ37歳までプレーしたとして、安打数は1500本に届くかどうか、本塁打数も450本前後だろう。
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