G.G.佐藤は突然現れた選手という印象がある。そして登場した時から「おっさん」だった。

そういう選手はときどきいる。
入団時にすでに年を食っていてしかも外貌が老けている。大昔で恐縮だが、永淵洋三、井上弘昭、最近では嶋重宣がそんな印象。嶋は高卒からのプロ選手だが、打者に転向していきなり首位打者になったのは28歳の時だ。いきなり老けた選手が出てきた印象がある。

キャリアSTATS

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この選手は法政大学を出てからマイナーリーグに挑戦した。フィリーズ傘下のAクラス、バタヴィア・マックドッグズではライアン・ハワードとチームメイト、それなりの成績は残したが出世はできず。

帰国して西武のテストを受けドラフト7順目で入団。伊東勤との出会いが無ければプロ入りはなかったと言う。

長打力は群を抜いていた。外野、一塁守備も標準的だったが、好不調の波が激しかった印象がある。

盛りは短く、2011年には戦力外。イタリアのボローニャに移籍。レベルの差があり好成績を収めたが、リーグ戦の間のトーナメント戦に参加しなかったことで解雇される。
2012年は実業団。
2013年、恩人の伊東勤が監督をするロッテに拾われるも活躍はできず、36歳で引退となった。

成績だけを見れば、誠に平凡だが、レギュラーで5番あたりに座っているときは嫌な打者だった。存在感があった。
ファウルを打ちながらだんだんにアジャストしていくようなしぶとさがあった。

こういうのを「記録より記憶に残る選手」というのではないか。


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1972年坂井勝二、全登板成績



広尾晃、3冊目の本が出ました。