松坂は8年間NPBで活躍したのちにMLBに渡り8年投げて再び帰ってきた。

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ソフトバンクに入った理由はいろいろあるだろうが、第一に年俸ではあっただろう。3年12億、今年の松坂は150万ドルだから1年あたり2.5倍の“昇給”となる。MLBでは絶対にありえない高年俸だ。

つぎに「優勝が狙える」ということだろう。高いモチベーションを維持することができる。チームの体性もしっかりしている。工藤公康新監督との相性は不明だが、投手出身であるのもプラスの要素だろう。

3番目にMLB帰りで成功している投手がいるほとんど唯一のチームだということもあるかもしれない。自由契約になった岡島秀樹はボストンでの同僚、そして五十嵐亮太も。
“アメリカ帰り”を使うのがうまい球団だと言うのも大きいかもしれない。

松坂大輔の16年間を見てみよう。

Matsuzaka-daisuke


高卒から3年連続で最多勝。恐るべき新人だった。しかし投球内容は「若さに任せて投げまくる」ものだった。三振も多いが四球も多い。
1イニング当たりの投球数も17近く。この非効率な投球で投げまくっては、潰れてしまう。
2001年NPBでは恐らく最後の4000球投手になり、翌年故障で戦線離脱。

復帰後は被安打が増えるが、四球が減り、少しずつ「大人の投球」になる。
2006年はWHIPがリーグ1位、走者を出さない堅実な投球に変化。

そしてMLBに渡ったのだが、硬いマウンド、滑るボール、そして何より「厳しい投球制限」に苦しむ。
投げ込んで肩を作る松坂にとって、キャンプでも、登板と登板の間の日でも投げ込みが制限されるのは苦しかっただろう。
イニングの間にベンチの前でキャッチボールをすることさえできないのだ。

その結果として四球が増えた。さらに被本塁打も増えた。

それでも多彩な球種を駆使して2年間はエース級の登板をしたが、3年目以降故障がちとなり、2011年にトミー・ジョン手術。
しかし復帰後も成績が上がらずついにはボストンを放出され、クリーブランドに。ここでも登板機会はなくマイナー落ち、自由契約となってメッツと契約。

2013年も低調だったが、後半になってカーブを主体とした新しい投球スタイルで少し復活。
今年はマイナー契約からMLBに昇格、救援投手から先発投手になるが、投げて見ないとわからない不安定な投球で首脳陣の信頼を得ることができず、FAとなった。

率直に言って満身創痍の松坂に、3年12億の価値があるとは思えない。

岡島や五十嵐は、MLBで新たな投球術を学んが、松坂は「適応不全」のまま8年が経過した感さえある。
井川慶、高橋尚成、川上憲伸のような状況にならないか、危惧される。

とはいえ、彼は普通の選手ではない。1980年生まれの野球選手を代表する「歴史的な存在」である。第3幕が開くことを期待したい。

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