あっさりした身の引き方だった。ホームランか三振か、わかりやすい魅力を持った選手だ。
高校から98年2順目でシンシナティ・レッズに入団。アメフトでカレッジに通いながらのプロ野球選手だったが、すぐに野球に専念。
同期にパッと・バーレル、JDドリュー、CCサバシアなど。

キャリアSTATS

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マイナーを2年少しで通過して2001年にはMLBに。
とにかく、飛距離がすごい。打てば本塁打と言う感があった。それに加えて選球眼も素晴らしかった。
三振が多いのは、打てなくてもぎりぎりまで粘るから。単に荒っぽかったわけではない。投手にとっては嫌なタイプの選手だった。

このころから注目されたセイバーメトリクス的には理想形の一つのように思われた。

私はこの打者を見るのが大好きだった。
大柄なMLB選手の中でも、きわだった巨漢。足が長くて上体が盛り上がっている。
その体で、ゆったりと左打席に入る。あまり闘争心のようなものは感じなかったが、風格のある打者だった。
三振を宣せられてもさほど悔しそうにせず引き下がる。
「俺はホームランを打つためにここに来ているんだ」と言わんばかりだった。

その反面、守備はへたくそ。守備範囲は狭く、送球は悪く、捕球もへたくそ。いつも自信なさげ。WBCでの守備のもたつきはちょっと見ものだった。
なぜこんな「攻撃だけ」の選手がナリーグでやっているのだろうと思ったものだ。

レッズで8年間プレーした後はジャーニーマンになってアナ両リーグの4球団を渡り歩く。
2011年にはホワイトソックスで.159という超低打率を記録。規定打席には6足りなかったが、もし達していたらMLB史上最低打率になるところだった。

もとより打率は望めなかったがその分四球を稼ぐことで貢献度は高かった。それにしてもこの打率はひどい。

翌年には.204ながら41本塁打、105四球を稼ぎオールスターに選ばれている。

これほどはっきりした個性の選手も珍しい。まだ35歳だったがすぱっと引退した。代打やスポット的な起用では、恐らく実力は発揮できない。そのことを本人が知っていたからではないか。

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