最後に40台の安打数ランキングをみていこう。
40代(早生まれの39歳を含む)の200本安打以上のランキング。13人。えんじ色は最多。
やはり門田博光が1位、1988年の40歳での2冠王の年は、私が最も多くの野球を観戦した年だ。門田の大阪球場での試合はほとんど見ている。バットのグリップを耳の横あたりにぴたっと固定させて微動だにしない姿は今も目に焼き付いている。一発で仕留める名人芸に見惚れた。南海最後の年だけに感慨深い。
2位は落合。タイトルこそ取れなくなったが40歳を過ぎても怖い打者だった。
3位は金本。連続試合出場に固執して、全試合出場、規定打席以下という前代未聞の記録を作ったが、それでも552安打は大したものだ。
4位の山﨑は、成績が落ちても現役に固執しまくった。成績は当然ながらよくない。
5位の戸倉は永らくこの記録の保持者だった。今年生誕百年、藤村富美男より2つも年長。36歳の年にプロ入り。特筆すべきは40歳を過ぎても足があったこと。41歳の55年には21盗塁している。
アルトマンは40歳を過ぎても打棒は衰えなかった。外国人選手でなければもっと活躍で来ただろう。
岩本義行は戦前は南海の主軸だったが、戦後は松竹の中心打者。40歳を過ぎてからも中軸を打った。
宮本も40歳を過ぎてレギュラーを張った。
野村は42歳で南海を追われ、45歳まで現役。大選手の末路哀れと言う感があった。子どもの頃からのファンだっただけに、正視できない感じだった。
谷繁は唯一の現役。監督兼任の上に、もともと打撃では大きく期待されていないだけに、続けようと思えば現役生活を続けることが可能だが、OBの木俣達彦から野村の出場試合記録を破ったら引退するように言われている。どうするのだろうか。
大島は日本ハムで現役を永らえた。
以下2人は外国人。パワーのあるタイプだった。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。
大田卓司、全本塁打一覧|本塁打大全
広尾晃、3冊目の本が出ました。
やはり門田博光が1位、1988年の40歳での2冠王の年は、私が最も多くの野球を観戦した年だ。門田の大阪球場での試合はほとんど見ている。バットのグリップを耳の横あたりにぴたっと固定させて微動だにしない姿は今も目に焼き付いている。一発で仕留める名人芸に見惚れた。南海最後の年だけに感慨深い。
2位は落合。タイトルこそ取れなくなったが40歳を過ぎても怖い打者だった。
3位は金本。連続試合出場に固執して、全試合出場、規定打席以下という前代未聞の記録を作ったが、それでも552安打は大したものだ。
4位の山﨑は、成績が落ちても現役に固執しまくった。成績は当然ながらよくない。
5位の戸倉は永らくこの記録の保持者だった。今年生誕百年、藤村富美男より2つも年長。36歳の年にプロ入り。特筆すべきは40歳を過ぎても足があったこと。41歳の55年には21盗塁している。
アルトマンは40歳を過ぎても打棒は衰えなかった。外国人選手でなければもっと活躍で来ただろう。
岩本義行は戦前は南海の主軸だったが、戦後は松竹の中心打者。40歳を過ぎてからも中軸を打った。
宮本も40歳を過ぎてレギュラーを張った。
野村は42歳で南海を追われ、45歳まで現役。大選手の末路哀れと言う感があった。子どもの頃からのファンだっただけに、正視できない感じだった。
谷繁は唯一の現役。監督兼任の上に、もともと打撃では大きく期待されていないだけに、続けようと思えば現役生活を続けることが可能だが、OBの木俣達彦から野村の出場試合記録を破ったら引退するように言われている。どうするのだろうか。
大島は日本ハムで現役を永らえた。
以下2人は外国人。パワーのあるタイプだった。
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広尾晃、3冊目の本が出ました。
この選手は四十まで日本でプレーしていませんよ。