黒田博樹は今季、ヤンキースでは唯一規定投球回数に達し11勝を挙げた。田中将大のような華々しい活躍はできなかったが、CCサバシアが故障で落ち込む中、エースと言ってよい活躍だった。
MLBでは、黒田は「まだ使える、流通可能な選手」である。多くの選手が35歳を過ぎると一気に「時価」を落とす中で、いまだ1500万ドルを超える価値があるとみなされている。
そのこと自体は、黒田にとっても大いに誇らしいことだろう。

しかし、同時に黒田は非常に微妙な立場にいる。

少しでも成績が落ちれば、故障で戦線を離脱すれば、黒田の評価は一気に下落する。
例えば黒田と同じキャリアの二十代後半の選手が、不振に陥ったり、故障した場合、MLBでの評価は急落することはない。ポテンシャルはすでに証明済みだ。復調したら、故障がいえたら、同じようなパフォーマンスを期待することができるからだ。
しかし39歳の黒田は、けつまづくことが即、戦力外、引退に直結しかねない。
その点、40歳まで高い評価を得た元チーム・メイトのマリアノ・リベラとも微妙に違う。
リベラは年齢こそ高かったが「カットボール」という「必殺のボール」が投げられる限り、評価は下がらなかった。
しかし黒田にはそんな必殺技はない。総合力で高い水準を維持することが求められた。
つまり彼の評価は、キャリアの最終評価であり、「その先がない」ものだった。
ここ数年、評価が暴落する危機を感じながらのプレーが続いていた。
「プロ野球選手の家の子」に生まれた黒田は自らの状況を冷静に判断していたと思う。

しかし、そんな状況にありながら、昨年、ヤンキースが複数年契約のオファーをしたときに、黒田はあえて1年契約を申し出た。これは異例のことだった。
このあたりに今回の彼の選択の「カギ」があると思う。

複数年契約は、不安定な野球選手と言う職業においてはリスクヘッジする最良の選択だ。たとえ怪我をしても、不振に陥っても、契約期間内は高額の報酬が約束される。その上に復調すれば優先的にチャンスが与えられる。

多くの大物選手が巨額の複数年契約をするのは、キャリアの後半で瀬戸際に追い詰められたくないからだ。しかし、彼らには「働かなくても高収入が保証されている」という批判が付きまとう。
MLBの多くの選手は、そうした批判を承知で、大型契約を結ぶ。そこには「プレーをお客さんに見せてなんぼ」という選手としての倫理観はない。
「拝金主義」とはつまるところ、そういうことだ。

黒田の同僚にもA-RODという「拝金主義者」がいる。彼に対するファンのブーイング、メディアの厳しい批判は、黒田も見聞きしたはずだ。
「ああはなりたくない」という思いが、黒田に1年契約を選択させたと思う。
黒田博樹は「金」にこだわるプロではあるが、それは自らの実力、実勢と引き換えに得る金である。代理人とのマネーゲームのような駆け引きで得る「金」は、黒田には無縁だったのだ。

そして広島への電撃的な復帰にも、同じ考えが底流にあると思う。

40歳になる黒田博樹は、たとえ巨額の契約に成功したとしても、シーズンを通して高いパフォーマンスを維持する自信がないのだろう。
不甲斐ない登板をしたり、投げることができなくなったときに、批判や冷笑を浴びることはどうしても避けたいと言う思いがあったのだろう。
思えば、昨年1年契約をしたときに、黒田の肚にはそうした思いが秘められていたのかもしれない。
NPBに復帰するとすれば、選択肢は広島しかない。年俸はいくらでもよい。

黒田の生涯年俸 ドルはその年度の為替レートで円に換算

kuroda-Yen


すでに黒田はMLBでの成功者である。高額所得者は、年収が激減すれば、翌年は所得税に苦しむことになるが、黒田は大丈夫だろう。恐らく堅実な蓄財をしていることと思う。それに60歳からの年金も60%支給される。

それにしても黒田のNPBでの11年間の年俸総額は、MLBの1年分にも満たない。この格差を見れば、NPBの選手がMLBを目指すのもやむを得ないと思う。

黒田にとっては、最後の一年になるかもしれない年をどちらでプレーするのか、を選択するポイントは、どちらが納得性のあるシーズンが送れるか、だったのだと思う。

広島東洋カープはマエケンの引き留めに成功し、優勝のチャンスが巡り来ている。黒田に対しては例年通りオファーをしたのか、例年よりも熱心に誘ったのかはわからないが、球団自身にも驚きの結果だったようだ。
コメント欄にもあったが、広島はMLBで11勝している現役の16億円投手を4億円で手に入れたのだ。まさに異様なまでの釣果である。

しかし黒田がNPBで、MLB時代のようなパフォーマンスを期待することはできないと思う。
前述のように黒田はNPBからMLBに移籍して、大きく投球スタイルを変えた。今の黒田はMLB仕様の投手だ。たとえ古巣とは言っても、再適応するのは難しいかもしれない。しかも黒田は40歳なのだ。不甲斐ない投球をするかもしれない。黒田はそれでもMLBで無様な姿をさらすよりはましだ、と思っているかもしれない。

さらに言えば、黒田はMLBの野球には順応したが、MLBのビジネス、アメリカのビジネス風土にはなじまなかったのだろう。この点、長谷川滋利などとは異質の人間だ。

黒田の決断は、MLBにも少なからぬ影響を与えることだろう。彼らの感覚からすれば、考えられないことが起こったのだから。
MLBでのNPBの評価は、すでに大きく下がっている。MLBの各球団は「トップクラスの投手以外にめぼしい選手はいない」と見なしている。
ポスティングフィーの上限が2000万ドルに設定されたことも、それを物語っている。
その上に、高額の報酬を蹴って帰国する選手が出たことで、MLBのNPB熱はさらに覚めることだろう。
黒田のNPB復帰は、NPBとMLBの関係に一つのピリオドを打つかもしれない。
単に人材供給源としてのNPBではなく、新たな関係を持つことが求められよう。

日本では「黒田は金ではなく、球団愛、ファン愛を選択した」という安っぽい論調が蔓延することだろう。
100g38円くらいのどうでもいい「感動ストーリー」を多くの人々が求めているからだ。
最も恐れるのはこれが「前例」になることだ。
NPBからMLBに渡る選手には、「黒田は金ではなく、最後は育ててくれたチームを選んだ」という言葉が浴びせられることだろう。日本は、何の関係もない、何のリスクも負わない赤の他人が、もっともらしい言葉を吐く国なのだ。それが羨望や嫉妬などの卑しい感情から出ていることを自覚することなく。
そういう形で、MLBに挑戦をする選手が要らざるプレッシャーを掛けられることは、黒田にとっても不本意なことだろう。

黒田は確かに「金」ではなく「他の何か」を選択した。しかしそれは「郷土愛」「チーム愛」などではなかったと思う。
彼が「金」よりも優先したのは「プロとしての矜持」だと思う。「対価に相応の働きをしてこそプロだ」という高いプロ意識が、彼に奇妙な選択をさせたのだろう。

私はこの稿で「プロは金だ」という自明のことをことさら強調した。それは「金じゃない」と軽々しくいいそうな向きに掣肘を与えたいと思ったからだ。

この問題について「野球は金ではない」と言えるのは、黒田博樹一人である。
黒田が達した高みを知らない我々は、黙って拝聴するしかない。

とりあえず完。


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