このシリーズは「わかった」と言っていただくのがお約束。答えを書いてしまうと、後から見た人の楽しみを奪ってしまう。よござんすか。
ご名答、完全試合を記録した投手のその年の成績。
所属、年齢を加えてもう一度。年代順に並び替える。
藤本はNPB初のパーフェクトを記録したが、新聞記者がおらず、写真が残っていない。達成年齢は最高齢。ノーヒットノーランとしては2回目。
武智文雄は前年最多勝を取ったが、翌年成績がへこんだ年に記録。大日本土木から近鉄と言う、近鉄のプロパーだった。
宮地惟友はキャリアハイの年に記録。エースの金田の陰に隠れた存在だったが、金田より早く記録した。
金田は初の最多勝を取った年。8年目、まさに脂がのりきった年齢。金田もノーヒットノーランとしては2回目。
西村貞朗は、2年前に21勝しているが、盛りを過ぎてから記録。
島田源太郎は、最年少で記録。この年がキャリアハイだった。
森滝義巳は、7年間で0勝の年が4度、二けた勝利はこの年だけ。なぜか10年間に国鉄の投手が3人も記録している。
佐々木吉郎は一度も二けた勝利はない。8勝したこの年がキャリアハイ。
田中勉は、佐々木と同じ年に記録。彼もキャリアハイ。黒い霧事件に絡んで消えた。
外木場義郎は殿堂入りした広島のエース。21勝はやはりキャリアハイ。彼は澤村栄治と並ぶNPB最多タイの3度のノーヒットノーランを記録しているが、その2回目。
佐々木宏一郎も勝ち星ではキャリアハイ。南海時代によく見たが、アンダースローの投手だった。
高橋善正は巨人時代のマウンドをよく覚えている。負けの多い投手で、この年も負け越している。
八木沢荘六は名コーチとして知られた。救援投手だった。完全試合を記録した年も先発はわずか9試合しかない。これがプロ入り7年目で初完封だった。
今井雄太郎といえば「キャンプのエース」。オープン戦では毎年凄い投球をしながら、シーズンが開幕すると勝てなかったが、このパーフェクトが契機となってエース級に。
で、槙原寛己。最後のパーフェクト投手ということで、結構得をしているように思う。前年開場した福岡ドームで記録。31歳は史上2番目の高齢での記録。
最後にパーフェクト試合の記録も載せておく。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。
M.キーオ、チーム別&投手別&球場別本塁打数|本塁打大全
広尾晃、3冊目の本が出ました。
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宮地惟友はキャリアハイの年に記録。エースの金田の陰に隠れた存在だったが、金田より早く記録した。
金田は初の最多勝を取った年。8年目、まさに脂がのりきった年齢。金田もノーヒットノーランとしては2回目。
西村貞朗は、2年前に21勝しているが、盛りを過ぎてから記録。
島田源太郎は、最年少で記録。この年がキャリアハイだった。
森滝義巳は、7年間で0勝の年が4度、二けた勝利はこの年だけ。なぜか10年間に国鉄の投手が3人も記録している。
佐々木吉郎は一度も二けた勝利はない。8勝したこの年がキャリアハイ。
田中勉は、佐々木と同じ年に記録。彼もキャリアハイ。黒い霧事件に絡んで消えた。
外木場義郎は殿堂入りした広島のエース。21勝はやはりキャリアハイ。彼は澤村栄治と並ぶNPB最多タイの3度のノーヒットノーランを記録しているが、その2回目。
佐々木宏一郎も勝ち星ではキャリアハイ。南海時代によく見たが、アンダースローの投手だった。
高橋善正は巨人時代のマウンドをよく覚えている。負けの多い投手で、この年も負け越している。
八木沢荘六は名コーチとして知られた。救援投手だった。完全試合を記録した年も先発はわずか9試合しかない。これがプロ入り7年目で初完封だった。
今井雄太郎といえば「キャンプのエース」。オープン戦では毎年凄い投球をしながら、シーズンが開幕すると勝てなかったが、このパーフェクトが契機となってエース級に。
で、槙原寛己。最後のパーフェクト投手ということで、結構得をしているように思う。前年開場した福岡ドームで記録。31歳は史上2番目の高齢での記録。
最後にパーフェクト試合の記録も載せておく。
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広尾晃、3冊目の本が出ました。