荒ぶる魂、という言葉が浮かんだ。伊良部の周辺には、常にトラブルがあり、日本的なコミュニティを拒絶した、孤独な姿があった。


上体が大きく、下半身がほっそりとした日本人離れした体型は、幼時に生き分かれになった、沖縄駐留アメリカ人の父から貰ったものだ。父の国米国、母の国日本、生まれた土地沖縄、育った土地香川、この尻の据わりの悪さ、アイデンティティの不確かさが、彼の精神を常に不安定なものにしたのかもしれない。



豊かな素質は早くから注目されていたものの、彼が真価を発揮しだしたのは、プロ入りしてかなりたってからである。
それまで球は速いが、荒れ球で、試合を任せておけない投手だったが、94年八木沢壮六監督によって先発に固定されてから真価を発揮した。この年は最多四球を記録しながらも最多勝を獲得。翌年以降はコントロールも向上し、リーグ屈指の投手となった。

伊良部は、恐らく、95年の野茂英雄のMLB挑戦以来、海を渡ることを考えていたのだと思う。一説によれば、『瞼の父』が東海岸にいて、投げる姿を見せたいためだったと言われるが、それ以上に、自分のアイデンティティを確かめたいという思いが強かったのではないか。彼は沖縄にいても、香川にいても、千葉にいても疎外感を抱いていたと思う。自分の居場所をアメリカの、ニューヨークの、ピンストライプのユニフォームの中に求めたのではないか。

ニューヨークでの歓迎セレモニーでは、ルドルフ・ジュリアー二市長が伊良部を迎えた。伊良部の気持ちはパンパンに膨らんだことだろう。しかし、野球選手がアイデンティティを確立できるのは、好成績をあげている期間に限られる。どれほどチームを慕っていようと、ニューヨーク・ヤンキース=NYYにとって、伊良部はただの投手に過ぎない。成績が上がらなければ放出される。あれほどのエネルギーで千葉ロッテが斡旋しようとしたサンディエゴ・パドレスを袖にした伊良部が、今度はNYYからアメリカでさえないカナダのモントリオールにあっさり飛ばされる。伊良部は大きく傷ついたと思う。1年目は先発、2年目はリリーフに回ったが結果を出せずに、テキサスに移籍するも活躍できず、日本に帰ってきた。

阪神では1年目活躍し、優勝に貢献したが、シーズン終盤にはもう通用しなくなっていた。故障もあったが、恐らくはモチベーションの問題もあって引退。

40を前にして復帰したのは、あるTV番組が契機となったのだろう。映像で見る伊良部は無聊を持て余している感があった。

しかし、米独立リーグや日本の四国アイランドリーグで、彼の自尊心が満たされるはずもなく、2度目の引退。

おそらくは、まだやり残したことがあるのに、野球ができる年齢を過ぎてしまったことが、大きな焦燥感となったのだと思う。

伊良部は高めの球が速かった。サッカーボールでも蹴るように足を大きくふり上げ、体を傾がせてリリースする。どちらかと言えば無骨なフォームから、定規で引いたようなまっすぐの軌道の球を投げ込んだ。肉体の力を誇示した投手だけに、喪失感は大きい。

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