堂場瞬一『大延長』






確かに野球には、「特別の試合」というものが存在する。その多くはビッグゲームだ。決勝戦であったり、優勝決定戦であったり。つまり、両チーム選手、ベンチの「勝ちたい」という思いが凝集して、すごい試合になるのだが、ある瞬間からそれは人知のレベルをはるかに超えた高みへとのぼっていく。信じられない好プレーが続出したり、偶然では済ませられない奇跡が連発したり。「野球の神様」の存在を信じたくなるような、そういうゲームが、野球の歴史を彩ってきた。

この小説は、夏の甲子園の決勝の2日にわたる大延長戦の死闘を描いている。好投手牛木と好打者春名を擁し、千載一遇のチャンスを勝ち上がってきた公立進学校と、ドラフト1位間違いなしの強打者久保を擁する甲子園常連の私立高校。二つの高校の監督は、大学時代のバッテリーである。また、牛木、春名、久保は少年野球の時代からのライバルだった。さらに決勝戦の解説をするのは、両校の監督の大学時代の恩師、滝本。

出来すぎた話だと思われるかもしれないが、現実の世界でも、一握りの野球エリートたちは、幾重にも重なった人脈の糸に取り込まれている。一例を上げれば北海道の高校生だった田中将大と青森県の高校生だった坂本勇人は、小学校時代は兵庫県の少年野球チームでバッテリーを組んでいた。甲子園で戦うエリート野球人は、小さいころから互いを知っていた可能性が高い。そうした人間関係が何代にも渡って積み重なっているのだ。

高校生たちも、そして監督、学校関係者たちも、さまざまなしがらみや事情を抱えている。金、名誉、新たな役職、未来、彼女。そうした思惑が、甲子園決勝戦という高みを目前にして、まるで空気に触れた燠火が炎を上げるように、彼らの心を焼く。さらにスキャンダルも発生する。甲子園決勝延長再試合という最高の舞台に臨んだ選手、監督、関係者はまさに雑念と困惑を詰め込んだ袋と化していた。

しかし、甲子園の大舞台は、そうした煩悩を浄化していく。野球が「特別の試合」へと昇っていく過程で、人々は現実を離れて一瞬一瞬を燃焼することに集中する。「野球の神様」が見えるのは、こういう瞬間だろう。

作家は小説が「荒唐無稽」になる一歩手前で手綱を引き締める術を知っている。すべてが架空の話だが、甲子園球場や高野連に丹念に取材をすることで、本物の「手触り」を醸し出している。

同じ甲子園を題材とした『もしドラ』を頭で書いた野球小説とするなら、この小説は肉体で書いている。一つ一つのプレーが、紙の中から立ちあがってくる。

登場人物で一人上げるとするならば、久保爽太。自らの打撃のことしか眼中にない屈指のスラッガーは、前田智徳を思い起こさせる。彼の心境の変化が、物語の重要な旋律の一つとなっている。

残念ながら、我々は「特別の試合」に参加する資格はない。しかし、この小説を読むことで、「野球の神様」の実在をおぼろげながらも感じることができる。

文庫本400ページだが、一息に読了することで、清涼感を愉しむことができよう。

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