乙武洋匡『希望 僕が被災地で考えたこと』


今、まさにKスタ宮城のマウンド前の土が持ち上がって、人の形をしたものが姿を現そうとしているかのようである。その上半身だけの不完全な人型には、眼鏡をかけた見慣れた顔が乗っかっていて、思いがけなくダイナミックな動きで小さなボールを力強く押し出そうとしている。

5月6日の東北地方楽天対埼玉西武戦、ミスター「五体不満足」こと乙武洋匡氏は、始球式をしたのだ。不覚にも、一枚の写真に打ちのめされてしまった。普段なるべく目を合わさないようにしていた物に、思いがけない場所でぶつかってしまい、しかもそれが予想外に美しくて、雄々しかったことに、心を激しく揺さ振られたのだ。のちに画像も見たが、➜それは神々しいといっても良かった。

今回の震災は、甚大な被害に遭わなかった人にも、深刻な「生命の危機」を感じさせた。それはハンデキャップを持つ人には、より切実で、改めて「助けを借りなければ何もできない」ことを思い知らせた。乙武洋匡氏でさえも例外ではなく、一時は落ち込んでしまったと言う。

しかし乙武氏は周囲の協力もあって、震災一ヶ月半後には、被災地に入るのだ。被災地には、突如日常生活を奪われて、途轍もないハンデキャップを負わされた人がいた。乙武氏は、こうした人々の前に立って、その言葉で、そしてそれ以上にその肉体で鼓舞した。人々は、五体不満足な身体が、素晴らしく機敏に動くことに驚ろき、その肉体の持ち主の不撓不屈の精神に、畏敬の念を抱いた。

ハンデキャップとは、見方を変えれば登るべき山のようなものであり、その高さに臆せず登ることで、必ず展望は拓けることを、彼は身をもって示したのだ。

乙武氏が、スポーツライターと名乗っているのは五体不満足と同様、レトリックの類だと思っていた。しかし、彼は、与えられた肉体を極限まで動かそうとしている点で、まごうことなきアスリートなのだと知った。彼が自らの肉体の不自由さと、それを何とか動かそうとする思いを語るとき、私はこみ上げてくるものを、抑えることができなくなる。ハンデキャップなどではない、彼は、世界に一つしかない自らの肉体を、思い通りに動かすために、すべての力を注いでいるのだ。そのシャキシャキした文体は、健全な肉体から発せられるメッセージそのものだった。

彼の被災地行脚のクライマックスが、Kスタ宮城での始球式だったのだ。
この本には、野球、スポーツのことは少ししか出てこないが、2011年の野球界を語るためには欠かせない本だと思った。


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