1933年、コミスキーパークで行われたMLB第1回オールスターゲーム。ボストン・レッドソックス=BOS28歳の捕手、リック・フェレルは先発出場し、NYYニューヨーク・ヤンキースのベーブ・ルースがビル・ハラハンからから打ったホームランを見上げていた。ルースをホームで出迎えたのはルー・ゲーリッグだ。

その11年後の1944年、39歳で最後のオールスターに出たワシントン・セネタースの捕手、リック・フェレルの前で、セントルイス・カーディナルスSTLの24歳、スタン・ミュージアルは3番打者ながらバントもし、シングルヒットも打った。溌剌としたデビューだった。

それから19年後の1963年、43歳で最後のオールスターに出たSTLの至宝、スタン・ミュージアルは5回、捕手エド・ベイリーの代打で打席に立ってジム・バニングの球を打って右飛に倒れた。この試合で、スタン・ミュージアルをあこがれのまなざしで見つめていたのが、24歳のBOS外野手、カール・ヤストレムスキーだ。彼は、5回代打に立って、レイ・カルプの前に三振に倒れている。

さらに20年後の1983年、最後の三冠王として現役ながらすでに伝説となったBOSのヤズことヤストレムスキー最後のオールスター。7回ボブ・スタンリーの代打で出たヤストレムスキーは、パスカル・ペレスの球を見逃し三振。この試合で6回にロビン・ヨーントに代わって遊撃の守備に就いたのがボルチモア・オリオールズ=BALの24歳のカル・リプケン。彼は7回、ヤズの次の次に打席に立ち、ペレスから四球を選んでいる。

18年後の2001年、BALのカル・リプケンは連続試合出場の大記録も樹立し、最後のシーズン、そして最後のオールスターを迎えていた。このゲームの話題は、何といっても日本から来た小さな大打者、シアトル・マリナーズ=SEAの28歳のイチロー・スズキ。1番でさっそうと打席に立つイチローを、7番遊撃で先発したカル・リプケンはじっと見つめていた。2番は昨年までSEAにいたテキサス・レンジャーズ=TEXのアレックス・ロドリゲス。3番はマニー・ラミレス。ナリーグの3番はバリー・ボンズ。6番はマイク・ピアッツァ。7番はチッパー・ジョーンズ。先発はロジャー・クレメンスとランディ・ジョンソン。ルーキーでは22歳のSTLアルバート・プホルズも選ばれていた。

10年後の今年、2001年に出場した選手が出場していればスーパースターの伝説はつながっていたはずだ。初出場のピッツバーグ・パイレーツ=PITの24歳、アンドリュー・マッカチェンや、シカゴ・カブス=CHC、21歳のスターリン・カストロの前ですでに大選手となった面々がその雄姿を見せることができたはずだ。もちろん、来年以降、伝説はつながる可能性は大いにある。しかし、今年はつながらなかった。

MLB(もちろんNPB)の歴史は、偉大な選手同士が対戦し、交錯し、さまざまな接点を作ることの連続でつながってきた。オールスターは、それを象徴的に見せる舞台なのだ。





ベーブ・ルースから、マッカチェン、カストロまで、80年近い歴史を、わずか6回のオールスターで語ることができる。

オールスターを、至宝と呼ばれるベテランと新鋭が、わずかな接点で交差する機会だと考えれば、ベテランは無理を押してでも出場すべきだと思うのだ。

野球というエンドマークがつかない叙事詩をつむぐ一人という自覚を持ってほしいと思う。ベテラン選手のオールスターゲーム出場辞退は、この一点をもってしても残念だと思う。


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