昨日、田中将大はアレックス・ロドリゲスと初めて顔合わせをしたようだ。ヤンキースの新旧の「顔」の対面だ。
東スポ
ヤ軍移籍1年目の昨季はロドリゲスがチームを離れていたため、対面する機会がなかった。しかし、ついにその時がやってきた。「(練習後、クラブハウス内の)食堂に行ったら、いきなりいたので『うわっ、おった』と思いました」。田中は思わず苦笑いだ。「あいさつはしましたよ」とだけ語り、印象には触れなかった。

現役選手として、イチローと打撃記録を分け合っているが、この選手に対するリスペクトの声は聞こえない。
最も偉大だが、最も残念な選手に成り果てている。

キャリアSTATSに年俸を加えた

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1993年のドラフトいの一番。同期には引退したデレク・リー、ジェイソン・バリテック、スコット・ローレン、今も元気なトリ・ハンターなどがいる。

とにかくその才能は際立っていたようで、入団した年の7月8日にはMLBに昇格している。
デビューのレッドソックス戦は9番遊撃、3番ケン・グリフィ・ジュニア、4番はエドガー・マルチネス、3回にナブホルツから三ゴロ。
この年は7月だけに終わったが、96年には本格デビュー。いきなり首位打者、最多得点、最多二塁打。123打点。
以後シアトル・マリナーズの花形選手として活躍した。

FA権を得て2001年にはテキサス・レンジャーズに。イチローのMLBデビューと入れ替わった形だ。このときに10年2.52億㌦で契約。今から考えても凄まじい数字だが、当時は空前の大型契約だった。
辣腕代理人、スコット・ボラスは大いに名を上げたが、A-RODは古巣マリナーズのファンからは「金の亡者」と非難された。このブーイングは今も続いている。

イチローがマリナーズファンに大歓迎されたのは、A-RODとの対比があったのだと思う。大金をもらって後足で砂をかけて出て行ったスターの後に、東洋から安打の魔術師のような細い男がやってきた。

レンジャースはA-RODを獲得したものの、4位、4位、4位と浮上せず。A-RODは最多得点2度、MVPも獲得したが、投手力が弱体なチームは最下位に沈んだのだ。

2004年にはヤンキースに契約ごとA-RODを放出した。
1年前にヤンキースに移籍していた松井秀喜は、1歳下のA-RODのスイングに舌を巻いた。
「パワーではとても彼にはかなわない」

この年から5年間が彼のピークだろう。ジーター、ジアンビ、デーモン、アブレイユ、シェフィールド、松井、のちにタシェアラ、1000万ドル以上をもらう選手がひしめく超金満球団にあって、彼は不動の存在だった。

メディアへの対応は無愛想。そしてポストシーズンで極端に不振に陥る癖もあって評判は良いとは言えなかったが、数字で周囲を黙らせる迫力があった。

2007年には10年2.75億ドルで再契約。契約満了時には42歳。非現実的な契約と思われたが、これもボラスの手柄とされた。

しかし成績が落ちるとにわかに評判が悪くなる。
2009年には、2003年の薬物検査でステロイド陽性が出たことが発覚、2013年にはバイオジェネシス・スキャンダルで出場停止処分に。

大打者の名声は地に落ちた。彼自身が世間からは「悪あがき」としか見えない抵抗をしたこともあり、A-RODはどこへ行ってもブーイングを浴びる存在となった。

2014年はシーズン出場停止処分。A-RODはこの処分を受け入れると表明。

今年に入って彼は、文書でファンに謝罪。
「私は後れを取った一連のことを乗り越え、前と同じように野球をする準備ができています。このゲームは、私が10代だったころから唯一大きな情熱を注いできたものです。スプリング・トレーニングに参加したら、ベストプレーヤーでチームメートであるよう全力を尽くし、定位置をつかみ、チームの勝利に貢献します」
と述べた。

しかし、これを額面通り受け取るファンは少ないだろう。A-RODは巨額の契約を満了させるため、あと3年プレーしたいと考えている。そのために頭を下げたと思うファンが多かったのではないか。

黒田博樹は、A-RODの評判が地に落ちるのをベンチで見ていた。今回の広島復帰は「ああはなりたくない」という思いがあったのではないか。

7月には40歳になる。体は衰えている。しかも行く先々でブーイングを浴びなければならない。重たい十字架を背負っての復帰だ。

軽く振っているように見えて、すさまじく打球が速い。スマートなスイングは一驚に値する。またその守備もダイナミック。本来、彼は見ていて楽しい選手なのだが。

殿堂入りはすでに絶望的。悲劇のヒーローとは言えないが、途中で軌道がおかしくなったアメリカン・ドリームの体現者として、そのプレーが注目される。



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