昨日の記事について、いくつか反論をいただいた。もう少しだけ私の考えを述べたい。
私は毎朝、犬の散歩に行く。どうということはない住宅地だが、季節によって、天候によって空の色は変わり、景色も変わる。数か月前にはなかった家が建っていたりもする。そういうものを眺めていると、さまざまな感興が湧いてくる。しかし我が犬は、散歩の間中、小便の跡を調べ、他の犬を威嚇するだけである。同じ時間を共有しても、見えているもの、感じているものは違うのだ。

同じ野球の試合を見ていても、人によって印象は大きく変わる。
打者が併殺打を打つ、スタンドからは失望の声が上がる。舌打ちする人もいる。
カウントを考えずに、臭い球に手を出した打者に失望の声を上げる人もいるだろう。
一方で、低めによく制御された変化球を投げた投手をほめる人もいるだろう。
素早い動きで打球を処理した内野手に舌を巻く人もいるだろう。
あるいは、アウトになったものの打者走者の足の速さに目を見張る人もいるだろう。
さらには、「あの球に手を出したらあかん、いうたやろが!」と悔しがるおじさんの横顔を見つめている人もいるだろう。
スコアブックに付ければ単に「4-6-3併殺」になるプレーでも、見方にこれだけの諸相があるのだ。

「けっ、併殺か、何しとんねんボケが!」と毒ずく人は、皮相な見方しかしていない可能性がある。
勝った負けたしか興味がない人は、せっかく金を払って見に来ているのに、テレビや新聞、ネットで結果を見ているのと大差ない感興しか得ていない可能性があるのだ。ご本人はそれでいいのかもしれないが、失礼ながら、小便の跡ばかり気にして地面を嗅ぎまわっている犬みたいなものだと思う。もったいないでしょう。

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当サイトには選手を「くず」「かす」と評するコメントが寄せられることがある。
また「ある選手はある選手より上」とさまざまな数字を持ち出して言い募る人もいる。
そういう人は、野球場に行ったことがないか、行っても犬並みの感性でしか試合を見ていない人だと思う。

野球場は非日常の空間である。緑と茶色に区切られた円形のひろがり、それを取り巻くミルフィーユのような層を成すスタンド。ナイターならば照明の光が降り注ぐ。ドーム球場なら、UFOのような天井が大空間を覆っている。
それら一つ一つがまず見ものであるはずだ。
そこで躍動するのは、何十万人と言う野球選手の中から選ばれたエリートだ。すらっと伸びた足、幅広い肩幅、小さな頭。球を追って信じられないスピードで動く。凄まじい勢いでボールを投げる。
その選手の中にも球史に残る大選手もいれば、まだ試合に出始めたばかりの新人もいる。
よく観察していると、彼らの動きは違う。ゆっくりとアップをする大選手には風格が漂っているし、新人はどこか自信なさげである。ユニフォームの着こなしも違う。

客席にだって諸相がある。贔屓のチームのことばかり話している一団もあれば、全く関係のないテレビの話に夢中なおばさんもいる。折角お金を払って座っているに居眠りを始めたおじさんもいる。外国人は興味深そうに応援団にカメラを向けている。

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「野球の試合を見に行く」とは、そういう実に多様で魅力的な「見世物」を見物しに行くことだ。
諸相を見る中で、試合が進むうちに、自分たちとは異なる天賦の才を持った野球選手のすごさ、素晴らしさが浮かび上がってくるのだ。

私が選手の記録にこだわるのは、それらが単なる数字ではなく、選ばれたプレイヤーたちの血肉の結果だからだ。架空ではなく、自分がグランドで見たプレーの「実」が、込められた数字だからだ。
AVGと言えば、バットの芯でボールを打ちぬく好打者の姿が浮かぶ。WHIPと言えば、素晴らしい制球力の投手が目に浮かぶ。(その点、WARやUZRではあまり選手の姿が浮かばないのだが)。
良い記録とは、数字を通してその選手の人となりや野球人生、個性が浮かび上がってくるようなものだ。

野球カードやグッズを集めたりする人は多いが、それらもすべて球場で「野球を見る」ことと繋がっていなければあまり意味はないと思う。

技術論にしても、それが「野球の魅力」と繋がっていなければ意味がない。
野球だけでなく優れた技術論は、それ自身が聞きごたえのある「芸談」になる。野球の興趣をより深めてくれるだろうが、聞きかじりの技術論は、ただのひけらかしになってしまう。
玉木さんが言いたかったのは「芸」になっていない不出来な技術論は要らないということだ。

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バーチャル全盛時代だが、野球はあくまでリアルなものだ。
私は別にみんなが「この選手はこんなところが美しい」とか「野球場にこんな風情を感じた」と言ってほしい訳ではない。
しかし、野球を楽しむということ、試合を見るということは、実に多様な要素を含んでいることを認識すべきだと思う。
一方的、一面的な見方でしか語らないのは、貧しすぎると思う。

野球の試合を見る、というのは一期一会の「野球」に出会うことなのだ。そして、すべてはそこから始まる。

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