楽天のドラ1安楽智大は、キャンプの第2クールの後、2軍行きを命じられた。さらにブルペンも封印されたという。

体力的な問題があったという。また、フォームが大きく崩れているのに十分にチェックせずに投げていたとも言う。首脳陣は、野球人としての幼さ、未熟さを感じたのではないか。
あるコーチは
「安楽は見られていると必要以上に頑張ってしまう。今日の状態だったら途中で(投球を)やめても良かった。だけどマスコミに見られていることで無理をした。ヒジを故障したこともあったし、このまま一軍でいるより注目度が薄まる二軍の方がいい」
と言ったという(東スポより)
高校時代に酷使の挙句、肘を故障した前歴もある。高卒投手の育成に定評のある楽天指導陣の判断は、的確だと思う。
安楽は松井裕樹や田中将大などとは違い、数年先の一本立ちを目指してじっくりと育成するのではないか。

しかし安楽は入団当初から「新人王を目指す」と明言していた。2軍落ちしたあとも、卒業式で
「新人王。1年目からタイトルを取りたい」
と語っている。

彼の「強気」あるいは「頑固」は有名だ。
おもえば2年前、2年春の甲子園で772球を投げて内外の注目を集めたときは、

夏は「3、4試合投げても150km/h出せるように鍛えなおしたい」

と周囲の懸念を逆なでするような言葉を吐いたものだ。
安楽は自分のみならず、恩師の済美、故上甲正典監督が批判の的になったことに反発したようだ。

上甲監督は、「高校生に球数制限はふさわしくない」「限界を精神力で超えることも必要だ」と言う考えの持ち主。春は、「安楽が大丈夫だと言うから投げさせた」と語った。

この考え方の是非はともかくとして、安楽は肩甲骨を故障して夏は活躍できず。さらに右肘の炎症のため、3年生は甲子園に出場することもできなかった。
2年生の時に最速157km/hを記録した速球は、3年時には140キロ代半ばに低迷した。

甲子園予選敗退後、プロ志望届を出したが、プロのスカウトの評価はかなり落ちていたと思われる。
しかし、楽天が1位指名した。
恵まれた体格とダイナミックな投法、そして強気の性格を評価したのだろう。

確かに安楽は素晴らしい資質の持ち主なのは間違いないだろうが、メンタル面ではどうだろうか。

彼は今のところ、自分の信条に固執し、周囲やメディアと軋轢を起こしがちだ。
その上、球団の指導方針を素直に受けているようにも思えない。

「今年の目標は新人王とタイトル」という言葉が、外交辞令的なもので、実際には「一からじっくり鍛え直す」ことを理解しているのなら問題はないが、周囲やメディアだけでなく、球団の方針にも反発を抱いているのだとすれば、これは問題だ。

最近は、メンタル面では「柔軟性」があり、「視野が広く」、「自己管理」できる野球選手が出世をしている。
周囲の期待に応えようと無理をする選手はうまくいっていない。メディアを意識しすぎる選手も成功していない。そういう「賢さ」「冷静さ」が、成功するためには必要なのだ。

「亡き恩師の無念を晴らす」とか「高校時代の自分の取り組みが正しかったと証明する」などという後ろ向きなことに固執していては未来は開けない。

安楽智大には、メディアに対して「僕はまだまだ未熟です。一からやり直しです」というような賢さが必要なのではないか。


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