今日からライオンズ。最初の5年は壮観である。
通算安打=Hと通算勝利数=W セーブ=S、そしてH=1ポイント、W=10ポイント、S=5ポイント。移籍後の記録は加算していない。ただし元のチームに復帰した時はその数字も加算。要するにドラフトで獲得した選手が、直接的にどれだけ貢献したかを数値化。グレーは入団拒否。青線の下はドラフト外。

Lions65-69


1965年、16人を指名したが13人に蹴られる。浜村は内野手として活躍したのち巨人へ。http://www.tosazanmai.com/himono/

1966年一次、巨人の5番打者になった柳田俊郎(真宏)、ロッテの正捕手村上公康が出る・
1966年二次、全くの不作。
この年の最大の収穫はドラフト外の基満男だった。堅守、強打の二塁手としてライオンズと大洋で活躍。通算1734安打。藤本和宏は広島で10勝投手になった。

1967年、収穫の大きかった年。良く負けたがエース格だったサイドスローの河原明、東田正義はしぶとい外野手、そしてスラッガーの竹之内。死球の多さでも知られた打者。

1968年、大豊作年にライオンズも大収穫。東尾修、大田卓司と西武の時代まで活躍する柱を得る。

1969年、弱い時代の西鉄を支えた三輪、アンダースローで近鉄に行ってから開花した柳田、そしてドラフト外で大洋に行ってからスーパーカートリオの一員になった加藤博一が出た。

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1963年金田正一、全登板成績【セ・リーグ最後の30勝到達】


広尾晃、3冊目の本が出ました。