昨日。
申し訳ないことに後から気が付いた。グランドで昏倒してから5年。ということは、木村拓也は東日本大震災を知らずに逝ったのだ。
キャリアSTATS 守備位置別も付ける。

Kimuratakuya


元は捕手。しかし投手を除くすべてのポジションを守っている。強肩で足も速かったので、外野手に転向。
広島に移籍してからは次第にユーティリティとして重用されるようになる。
99年に一軍では初めてマスクを被る。広島には西山、瀬戸と言う二人の捕手がいたが、そのバックアップ的な役割。入団8年目ではじめて本塁打を打つなど、飛躍の年になった。
以後「どこでも守れて、そこそこ打つ」使い勝手の良い選手として規定打席に達する。
こういう選手、年度別のチームの布陣を出そうとすると、置き場所に困るのだ。

松井正さんが、二軍の成績を紹介している。併せて見ると、木村と言う選手の資質が見えてくる。

木村拓也死して5年

二軍成績を見ても、この選手は、ただの脇役ではない。打者としても優秀だったのだ。

木村拓也がファンから愛されたのは「名前の偶然」もあるが、たたき上げの苦労人として生存競争を生き残ってきたことが大きい。

どんな境遇でも不平を言わず、一生懸命に努力する。そして、チームを鼓舞する。
引退後、巨人の内野守備走塁コーチに就任。まさに適任と思われただけに、突然の死が惜しまれた。

昨日の巨人-広島戦の試合前に、緒方、原両監督が黙とうをささげた。

主戦場で倒れたのだからまさに「戦死」だ。野球人としては本望ではあろうが、間もなくやってくる誕生日(4/15)を迎えてようやく43歳。イチローよりも一歳年長。稲葉篤紀と同い年。あまりにも早すぎる死だった。


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クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。
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