まるで中古車の出物がでた様な騒ぎである。
不振にあえぐオークランド・アスレチックス=OAKの松井秀喜の日本復帰、阪神入りが現実味を帯びてきたという。膝の悪い松井にとって、人工芝の東京ドームでのプレーは難しいが、天然芝の甲子園なら大丈夫。本人も満更でもない、という話だ。またマートンがMLB復帰を希望しており、金本知憲もやめそうだから、資金的にも余裕があると言う。「福留もまとめてとってまえ」という話もあるようだ。

松井秀喜といえば2002年末、MLB移籍に際しての沈痛な記者会見を思い出す。「応援してくださるファンの皆さんには何とお詫びしたらいいか…」彼は、ファンに自分の身勝手を心から詫びていたのである。自らの可能性を追求することに貪欲で、そこに一片のためらいも感じられなかったイチローとは異なり、松井は自分の野心のために移籍することに自責の念を感じていたのである。古い男だなあ、と思った。しかし、信用できる男だとも思った。

MLBに移籍後の松井は、ニューヨーク・ヤンキーズ=NYYというトップチームでやや物足りないながらも堅実な成績を積み重ねていった。超一流の選手が集まるNYYにあって、玄人好みのする選手になっていった。恐らくチームメイトは、松井のチームの勝利優先の姿勢、自己の手柄をひけらかさない態度に、野球人としての「育ちの良さ」を感じたのではないか。

すべては2006年5月11日の左手首の骨折で、大きく変わった。出場試合数は激減し、成績も下落。さらに膝の故障も抱えた。苦闘するうちに年を重ねて、ついにはチームを毎年変わるジャーニーマンになっていった。
しかしながら松井秀喜は、どんな境遇にあっても一流の野球人であろうと努力をしてきた様に思う。不振のときは焦ってボール球に手を出すのではなく、球をよく見て歩くことを考えた。好調のときもチームプレーを優先した。取材にも丁寧に応じた。MLBではしばしば出場機会を巡って醜い争いが繰り広げられるが、松井はNYYで主軸を打った大物にもかかわらずそんな騒動とも全く無縁だった。







正直いってその数字には大いに不満が残るが、松井秀喜は、野球にかける姿勢において、常に一流だった。そして日本人の最良の資質をアメリカ人に示し続けた。それは東日本大震災において被災地の人々が見せた冷静な対応や助け合いの精神と同質のものだった様に思う。

日本の枠を超えコスモポリタンとして成功したイチローと、日本人として生き続けた松井秀喜、我々は21世紀に入って、この二人の日本人MLBプレイヤーを世界に送り出すことが出来て、幸せだったと思う。

翻って阪神である。ファンの皆さんには悪いが、今回の騒動を見ていると阪神タイガースが、用心棒を雇おうとするちんけな博徒に見えて仕方がない。「松井先生、福留先生、お願いしますぜ、さあ、ばっさり叩き斬っておくんなさい」。

例によってマスコミも「松井や、福留や、優勝や!」。と持ち上げるが、不振に陥れば、「ゴジラはいらん!」となることは間違いがない。

誰が見たって、松井秀喜の現役選手としての「残高」が、大して残っていないのは明らかである。
金本知憲のように、四十肩になろうが、体の動きが鈍くなろうが、ずっとスタメンで使うのが重用することではない。獲得するのであれば、今の松井秀喜の持ち味を活かした起用をしてほしい。そして、見事な引き際を飾らせてほしい。

現役を引退したとしても、野球人としての松井秀喜には、まだ無限の可能性が残っている。打てなくなったらはいおしまいではなく、将来に続く関係を持ってほしいと思う。

一言でいえば、松井秀喜に恥をかかせないでほしい。


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