大阪球場から南海ホークスが去ったのは、1988年10月15日のことだった。4日後にはあの10.19があった。ずいぶん濃密な時間だったのだ。
当日はものすごい人が詰めかけたが、閑古鳥が鳴く球場に日参していた私にしてみれば、日ごろからこれくらい来ていればこんなことにはならなかったのに、と思った。
門田博光が驚異的な活躍をした年でもあり、話題性は高かったのだ。
手元にある当時の記念誌。
大阪球場はその後、2年ほどプロ野球の試合に使われていたが、1989年に隣に南海サウスタワーホテルが開業したのちに、住宅展示場になる。私はこのホテルの広告の仕事をしていたので、ホテルの高層階からこんな姿を見下ろしていた。
「昭和レトロスタヂアム」から転載
昭和レトロスタジアム
ホームにホームが建ったとつまらない洒落を言っていた。このことを広報誌に乗せようとして、南海電鉄に止められた覚えがある。南海側も良いこととは思っていなかったのだろう。
さて、大阪球場は、今や、全く姿をとどめていない。
このあたり、三塁側のスタンドだったはず。
階上には空中庭園のようなものがある。ここから見下ろすと、住宅展示場が依然としてもとの位置にある。この写真の奥当たりがホームベースか。
この空中庭園のさらに端っこ、ほとんどの人は気づかない場所に南海ホークスのミュージアムがある。
以下、次回。
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クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。
伊藤勲、全本塁打一覧|本塁打大全
広尾晃、3冊目の本が出ました。
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