この球場も足場は良かった。最近の球場はどんどん都心から遠ざかっている。


阪急西宮北口から徒歩10分以内。山側に行くと関西屈指の高級住宅地、六麓荘町がある。家のたたずまいも変わってくる。
西宮球場は反対、浜側。大阪球場とは対照的に、傾斜の緩い開放的な感じのする球場だった。
歴史は古い。阪急グループの総帥、小林一三が職業野球に参入を決めた直後に建築を決定。甲子園球場から4キロほど北側に作られた。鉄傘があり、甲子園に雰囲気が似ていた。
阪急電鉄の阪神電鉄へのライバル意識がはっきり分かる。
竣工写真。不鮮明だが昭和のモダニズムを感じさせる。

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開場当時の写真。甲子園に雰囲気が似ている。

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阪急ブレーブス最後の日。上田利治監督だった。「去る山田、そして福本」と上田監督が言い間違いをして、福本豊が引退したと言われるのは、このときのことだ。

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戦後はラッキーゾーンが作られた。また競輪興行やるために、グランドの周囲にオレンジ色のトラックが設けられた。これが西宮球場の最大のアイキャッチになった。

今は阪急西宮ガーデンズという商業施設になっている。野球場の跡地には商業施設が立つことが多い。足場の良い人寄り場所だからだろう。

この写真の正面あたりにあった。今は右のコリドーを使って1階に降りることなく商業施設に行くことができる。

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ひっそりとあったブレーブス子供会の碑。阪急ファンの子どもには見覚えのあるキャラクターだろう。

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商業施設の平面図。この平面全体が球場だった。

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商業施設の上層部。最近のこういう施設は屋上に公園を作ることが多い。

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この建物の5階に、阪急ブレーブス関連の展示をする『阪急西宮ギャラリー』がある。
以下明日。

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