負け越しの方も面白い。こっちの方が味がある。-13以下。30人。
WL-Minus



-10以下を記録した選手は107人もいる。ワーストは19の負け越し。負けても負けても投げ続けるのは、要するに「他に選手がいない」からだ。

1939年、イーグルスの望月潤一は2番手投手。エースの亀田忠も14勝27敗でランクイン。
このチームは投手が5人しかいなかった。
タイ記録の1940年、ライオンの菊矢吉男も、そんなに投げたくはなかっただろうが、投手がやはり5人しかいなかったのだ。2番手の近藤久は9勝22敗、3番手の福士勇も7勝21敗でめでたくランクインしている。誰が投げても一緒だったのか。

権藤正利は1955年だからもう少し選手はいた。大洋は31勝89敗。とにかく制球が悪くて負けてばっかりだったようだ。翌年は0勝13敗、1955年から57年までNPB記録の28連敗。よく我慢して投げたものだ。

1953年の国鉄井上は9勝26敗、このとし金田正一は24勝25敗で負け越し。弱いチームだったのだ。ちなみに25敗は金田のキャリアワースト。

私が記憶しているところでは藤沢公也は、2年目に1勝15敗。何度もドラフト指名を蹴った金の卵だったが、この年、評価が一変した。持ち球のパームボールを打ち込まれたのだ。

藤沢を最後に13以上の負け越し投手は出ていないが、10以上の負け越しは2009年に横浜のグリンが3勝15敗の負け越し12を記録。2002年オリックスの川越英隆も同じ星だった。

こっちの表には巨人の選手は一人も載っていない。
近鉄が4人、大洋が3人、高橋、大映、中日、南海が2人など。
さすがにこの表の選手で表彰された人はいない。

前に紹介した勝ち越しの表とこの表に両方載っているのがスタルヒン。1955年はこの投手の最終年だ。

こちらの顔ぶれは、苦労人という感じがする。


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