最近の当サイトのやりとりを見ていて、プロ野球興行と地方について考える必要性を感じた。そして独立リーグの存在意義についても考えるべきだと思った。広く考えてみたい。
アメリカで野球がプロ化したのは1860年代だったとされる。初期の球団は、各地を転戦してプロ同士、セミプロ、アマとの試合興行をしていた。
当時の球団経営者の大きな悩みは「対戦相手をいかに確保するか」だった。プロ球団として経営を成り立たせるためには、できるだけ多くの試合をしなければならない。しかし対戦相手が安定的に見つかるとは限らない。
そうした悩みを解決すべく生まれたのが、ナショナル・アソシエーションという組織だった。ここに各地のプロ球団が加盟して試合を行った。1871年、日本で言えば明治4年のことだ。アソシエーション加盟の各球団が同じ試合数を戦って優劣を決めるリーグ戦が始まった。
これによってプロ球団の経営は安定したが、入会のハードルが低かったために、中には経営的に不安定な球団や、全体の和を乱す球団も出てきた。八百長も横行し、運営が立ちいかなくなったために、5年で潰れた。
この反省のもとに翌年、創設されたのが、ナショナル・リーグ。初めてのメジャーリーグだ。ナショナル・リーグには、ナショナル・アソシエーションから6球団が参加、さらに2球団が加わって8球団でスタートした。このリーグには、一定の基準を満たした球団だけが参加を許された。
ところでナショナル・リーグをなぜメジャーリーグというかと言うと、当時、メジャーではないもの=マイナーも存在していたからだ。
ナショナル・アソシエーションに加わらなかった球団、加わったが脱落した球団、ナショナル・アソシエーションには加わったが、ナショナル・リーグには加わらなかった球団など、その他の球団が存在し、彼らは彼らでプロ野球興行をしていた。この時期にはリーグ戦を行うチームが主流になっていた。こういうグループをマイナー・リーグと称したのだ。

はるか後年の1916年になって、セントルイス・カーディナルスのブランチ・リッキーが、選手の育成を目的としてマイナー・リーグの球団を傘下に置くようになった。ファームシステムの誕生だ。他のメジャー球団も、これに倣ったために、多くのマイナー球団は、いずれかのメジャー球団の傘下に入った。
以後、マイナー・リーグとは、メジャー・リーグ傘下の球団を意味するようになった。マイナー球団は実力によってランク分けされ、ヒエラルキーができた。
そしてこのときに、メジャー・リーグの傘下に入らず、独自にリーグ戦を続行したグループを独立リーグというようになったのだ。
独立リーグは、自らが名乗った名称ではなく、何度もあった球界再編の中でメジャー系の傘下に入らずに独自の興行を続けてきたグループということになる。
端的に言えば、アメリカでは原初、すべてのチームが独立リーグだった。ある意味で、プロフェッショナル・ベースボールの原点とも言える存在だ。
日本の野球は、アマチュアの学生野球からスタートした。大学野球や高校野球が尊重され、愛されるのは、それが日本野球の原点だからだろう。
同様に、MLBが巨大化し、北米全域でビジネスを展開する中でも、独立リーグが健在なのは、アメリカのファンに、野球の原点としての独立リーグをリスペクトする気持ちがあるからかもしれない。
一つ、捕捉しておくと、メジャー傘下のマイナー・リーグの球団は、今も、ほとんどすべてが独立採算制の別個の企業である。メジャーから選手を貸与され、興行を行っている。年俸の負担がないチームも多いようだが、試合運営や、チームのマネジメントは、独自に行っている。
マイナー球団の中には、親チーム(アフィリエイト)を変えるものもある。少し前まで、AAA、AAのリーグには親チームを持たない独立リーグの球団も参加していた。
そういう意味では、彼らも独立リーグ(球団)と言えなくもない。
アメリカでは、マイナーな球団も含めて、自分たちで球団を経営するチームが非常に多いことは特筆すべきだろう。
彼らは小さくとも自分で自分の食い扶持を稼ぐのが当たり前になっていたのだ。
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当時の球団経営者の大きな悩みは「対戦相手をいかに確保するか」だった。プロ球団として経営を成り立たせるためには、できるだけ多くの試合をしなければならない。しかし対戦相手が安定的に見つかるとは限らない。
そうした悩みを解決すべく生まれたのが、ナショナル・アソシエーションという組織だった。ここに各地のプロ球団が加盟して試合を行った。1871年、日本で言えば明治4年のことだ。アソシエーション加盟の各球団が同じ試合数を戦って優劣を決めるリーグ戦が始まった。
これによってプロ球団の経営は安定したが、入会のハードルが低かったために、中には経営的に不安定な球団や、全体の和を乱す球団も出てきた。八百長も横行し、運営が立ちいかなくなったために、5年で潰れた。
この反省のもとに翌年、創設されたのが、ナショナル・リーグ。初めてのメジャーリーグだ。ナショナル・リーグには、ナショナル・アソシエーションから6球団が参加、さらに2球団が加わって8球団でスタートした。このリーグには、一定の基準を満たした球団だけが参加を許された。
ところでナショナル・リーグをなぜメジャーリーグというかと言うと、当時、メジャーではないもの=マイナーも存在していたからだ。
ナショナル・アソシエーションに加わらなかった球団、加わったが脱落した球団、ナショナル・アソシエーションには加わったが、ナショナル・リーグには加わらなかった球団など、その他の球団が存在し、彼らは彼らでプロ野球興行をしていた。この時期にはリーグ戦を行うチームが主流になっていた。こういうグループをマイナー・リーグと称したのだ。

はるか後年の1916年になって、セントルイス・カーディナルスのブランチ・リッキーが、選手の育成を目的としてマイナー・リーグの球団を傘下に置くようになった。ファームシステムの誕生だ。他のメジャー球団も、これに倣ったために、多くのマイナー球団は、いずれかのメジャー球団の傘下に入った。
以後、マイナー・リーグとは、メジャー・リーグ傘下の球団を意味するようになった。マイナー球団は実力によってランク分けされ、ヒエラルキーができた。
そしてこのときに、メジャー・リーグの傘下に入らず、独自にリーグ戦を続行したグループを独立リーグというようになったのだ。
独立リーグは、自らが名乗った名称ではなく、何度もあった球界再編の中でメジャー系の傘下に入らずに独自の興行を続けてきたグループということになる。
端的に言えば、アメリカでは原初、すべてのチームが独立リーグだった。ある意味で、プロフェッショナル・ベースボールの原点とも言える存在だ。
日本の野球は、アマチュアの学生野球からスタートした。大学野球や高校野球が尊重され、愛されるのは、それが日本野球の原点だからだろう。
同様に、MLBが巨大化し、北米全域でビジネスを展開する中でも、独立リーグが健在なのは、アメリカのファンに、野球の原点としての独立リーグをリスペクトする気持ちがあるからかもしれない。
一つ、捕捉しておくと、メジャー傘下のマイナー・リーグの球団は、今も、ほとんどすべてが独立採算制の別個の企業である。メジャーから選手を貸与され、興行を行っている。年俸の負担がないチームも多いようだが、試合運営や、チームのマネジメントは、独自に行っている。
マイナー球団の中には、親チーム(アフィリエイト)を変えるものもある。少し前まで、AAA、AAのリーグには親チームを持たない独立リーグの球団も参加していた。
そういう意味では、彼らも独立リーグ(球団)と言えなくもない。
アメリカでは、マイナーな球団も含めて、自分たちで球団を経営するチームが非常に多いことは特筆すべきだろう。
彼らは小さくとも自分で自分の食い扶持を稼ぐのが当たり前になっていたのだ。
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