外野席で野球を観戦することは滅多にないのだが、神宮でのクライマックスシリーズは1塁側B外野席しか入手できなかったのだ。信濃町で降りて外苑を歩いていると、LIXILと書いた赤いフラッグを持った人がいっぱい帰ってくる。さてはヤクルトも身売りか?と思ったがさにあらず、ナビスコカップの決勝を観戦した鹿島アントラーズのサポーターだった。
不用意なことに、私は千葉ロッテマリーンズの黒いパーカーをはおっていた。去年の春、金泰均を追いかけて千葉まで野球を見に行ったときに防寒用に買ったものだ。これでヤクルトの巣窟に乗り込んだのだ。昨年、まだ高田監督の時代に神宮で試合を見たのだが、このときはファンも少なくて、おとなしかった。その時の印象が頭に残っていたから、別にかまわないだろうと多寡を括っていたのだ。

「巨人ファンって、こんなにいるんだ。まあ、東京のチームだからな」となりの背番号1AOKIのユニフォーム姿の男性が言った。すごい発言だ、時代は変わった。もちろん、一塁側から先に席が埋まる。まわりはすべて、小さな傘を持った人ばかり。そのテンションの高いこと。私は胸の「M」の字が見えないようにした。

試合が始まる。先発は館山昌平と澤村拓一。どちらも調子は良さそうだったが、外野からは細かなことはわからない。巨人の攻撃は、先頭の坂本勇人が粘りに粘り館山を苦しめたが無失点。

裏のヤクルトの攻撃になると、1塁側、右翼席のファンは全員立ち上がった。試合が見えないから、私も立ち上がらざるを得ない。そして何となく調子を合わさないといけないような気になる。聖地メッカに迷い込んだ仏教徒、という感じでひたすら異教徒であることがばれないように気を付けた(そういや、神宮は大学野球の「メッカ」でしたね)。

澤村の方は、ヤクルト打線を難なくかたづける。しかし館山は、坂本、長野久義らにてこずって、球数が増えていった。4回に、巨人はラミレス、小笠原道大、高橋由伸の3連打で先取点。しかし5回、ヤクルトは2死から下位打線でチャンスを作ると投手館山に藤本敦士を代打で送る。これが功を奏した。藤本は渋い当りながらも右中間に運んで同点に追いついた。さあ、一塁側は大変である。イスラム教徒、じゃなかったヤクルトファンはわらわらと小さな傘を広げて、振りまわした。例の東京音頭。去年より数倍は迫力がある。万余の透明傘が宙に踊る様は、エチゼンクラゲの大襲来という感じだった。

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6回、ヤクルトは館山に代わって村中恭兵をマウンドに送った。村中は今季、救援登板は2回しかない。小川監督は、ポストシーズン用の采配をしたのだ。事前に十分な打ち合わせがあったはずだ。村中は無難にこの回を抑えた。巨人原監督は打順が投手澤村に回ると、代打矢野謙次を送った。5回1失点のエースを引っ込めたのだ。これが試合の明暗を分けた。

澤村に代わってマウンドに立ったのは左腕高木康成。13ホールドは記録しているが、絶対的なセットアッパーではない。ヤクルトは左の上田剛史からだったから原監督にすれば当然の手だったかもしれないが、ヤクルト打線は組みしやすしと思ったはずだ。高木は先頭は打ち取ったものの、安打に一塁手小笠原の失策もあってピンチを迎える。このプレーで小笠原が負傷し、傷の手当てで時間が空いたが、原監督はその時間を利用して西村健太朗に肩を作らせてあっさりと交代させた。しかし、その西村がつかまって決定的な3失点。対照的に小川監督は、7回、打順がまわってきた村中に代打を送らず、そのまま打席に立たせた。小川監督は先発投手をリリーフに使うときは、ロングリリーフが有効だと判断していたのだろう。結局、村中は3.2回を投げ、大村三郎に本塁打を打たれて林昌勇にバトンタッチ。林は1球で坂本を打ち取ってゲームセット。松岡を温存でき、林も使える状態で白星を得た。

巨人は伝統的に救援投手の使い方が下手だが、この試合でもちまちまと投手を換え、試合の流れを細切れにした。東野峻を出すのなら、澤村の後だったのではないか。優等生的な原采配と、大人の小川采配の差がくっきりと出た。
しかし寒かった。ビールは結構売れていたが、アイスクリームの売り子がいて、「売れるわけないじゃん」と仲間で愚痴っていたのがおかしかった。

あまり寒かったので、途中からパーカーのフードを被って見ていたのだが、あとで気がつくと、フードのてっぺんには「CHIBA LOTTE」とくっきり白の縫いとりがしてあった。スタンドの上の方からは、大応援団の中に、ただ一人千葉ロッテのファンが混じっていると思われたはずだ。得点しても誰もハイタッチしてくれなかったのは、正体がばれていたからだ。

私が原理主義者、失礼、ヤクルトファンに拉致されることなく、無事に帰れたのは、恐らくはチームが快勝したからだろう。