野球賭博は少し前までごく普通の人が大っぴらに楽しんでいた娯楽である。マージャンは、もっと一般的な娯楽だった。
甲子園大会のツリーが新聞に乗ったら、世話焼きの男が胴元になって、優勝や準優勝、ベスト4などを予想するトトカルチョ的なギャンブルをした経験がある人は多いのではないか。
これも立派な「野球賭博」だ。
東京スポーツは、春、夏の甲子園の組み合わせが決まると「そのため」としか思えないようなツリーを一面に掲載し、「トトカルチョに」と大見出しをつけた。折り返しを見ると「使っちゃだめだよ!」と書いてあった。
会社や、商店街の仲間などが金を出し合って賭けをして盛り上がったものだ。

マージャンは、私が若いころまでは「男のたしなみ」だった。私はついにルールを覚えずじまいだった。そのために大学の授業の後など寂しい思いをした。大学の校門の前には雀荘がたくさんあったのだ。
マージャンは、プロ野球界でも一、二を争う娯楽だった。
キャンプでは、毎夜マージャン大会が開かれた。監督やコーチと選手が親睦する上では、有意義だとされた。雨天の日や休日には、朝から晩まで雀卓を囲む選手もいた。もうもうたるたばこの煙の中、延々と打つのだ。古株の新聞記者も、よく参加した。その中で特ダネを拾うこともあった。
これらのマージャンの99.9999%が、金を賭けていた。違法な賭博だった。

野球選手の中には、高校野球のトトカルチョをするものもいた。野球が好きなのだから当然だ。記者も参加することがあった。

さらに、野球選手が一番好きなスポーツであるゴルフも「握る」のが当たり前だった。1ホールごと、あるいはラウンドのスコアをめぐって金を賭けるのである。
今はともかく、昔は「握らない」ゴルフなど皆無だった。
ゴルフコンペでは、競馬の下馬評のようなものが作られ、優勝者を予想した。これも金を賭けた。

こうしたことはすべて違法行為である。キャンデーやたばこなどの物品の場合を除き、金を賭けていれば賭博、賭博開帳で罪に問われる。
最近法律が改正されたわけではない。大昔から賭博は違法だった。
しかし、20年ほど前までは、こうした行為は大っぴらにならない限り罪に問われることはなかった。社会的慣習として見逃された。
警察署の慰安旅行で、マージャン大会が行われることも珍しくなかった(余談ながら、昭和の時代の警察の慰安旅行では、宴会のお楽しみとして押収したブルーフィルムの上映会が催されたものだ。警察官から聞いたことがある)。
昔の日本人は一人前の大人なら博奕の一つや二つできて当たり前だったのだ。

15年ほど前、私は企業の広告、販促の責任者だった。大相撲の春場所に懸賞金を支払いに行く係だったが、府立体育館の事務所では、昼間から親方たちが雀卓を囲んでいた。記者らしき人や関係者も座っていた。

F1がブームになったころ、私は何人もの年上の人から「金も賭けずにこんなもの見て、何が面白いんだ」と言われたものだ。

それが今や、すべて法律にのっとって取り締まられることとなった。
現在は、「賭けマージャンをしている」と公言すれば、賭博罪で捕まることを覚悟しなければならない。マージャンと言う娯楽が急速に衰退したのは、このためだ。
今も、パチンコの金銭授受だけは見逃されている。これはパチンコ業界と警察が癒着しているからだが、それ以外の非公営賭博は「あってはならない」ことになった。

しかしながら、賭博は男の三大道楽「飲む、打つ、買う=飲酒、賭博、買春」の一つであり、根絶できない。

今回の巨人のスキャンダルは、選手が罪の意識をそれほど感じていなかった可能性が高い。
私は今回の事件が八百長事件に発展する可能性は低いと思うが、賭博としては広がっていく可能性は高いと思っている。

賭けマージャンや握りゴルフはおそらくは今も普通に行われているだろうし、そこに部外者が加わる可能性も高いからだ。

一方で野球界には、裏社会とつながっている人間、あるいは裏社会の人間がいるのも事実だ。
スキャンダルの温床は今もある。選手自身の意識レベルは低い。

今回の事件がどこまで広がるか予断を許さないが、いちど野球界全体のコンプライアンスの見直し、ガイドラインの設置が必要になるのではないか。グレーゾーンはこの際撤廃すべきである。


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