みなさん、あと少しです。この松竹と金鯱とイーグルス、セネタースはやってしまいます。
大東京、ライオン、朝日、パシフィック、太陽、大陽、松竹。田村駒次郎が興したチームのFC4。
今も田村駒と言う会社は大阪にあるが、その社史を見てもプロ球団のことは2ページしか載っていない。今の社員は自分の会社がプロ野球チームを持っていたなんて知らないのではないか。

打者 100安打以上+2 えんじ色は殿堂入り グレー地はフランチャイズプレーヤー

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坪内道典は、このチームでの功績で殿堂入りした選手と言ってよいだろう。小柄だが強肩俊足の外野手だった。
荒川昇治は足が速い捕手。則本昂大 の高校の大先輩にあたる。
鬼頭数雄は戦前の安打製造機。南海に移籍後、戦死。弟の政一もこのチームでプレー。のちに太平洋の監督になった。
藤井勇はタイガース出身、NPB初本塁打を打った。3年間の在籍だった。
金山次郎は広島押しの解説者として記憶に残っているが、松竹のリードオフマンだった。
そして1950年優勝の立役者、小鶴誠。1950年の143得点、161打点はいまだにNPB記録だ。
辻井弘は早稲田の花形野手だったが、後に広島に移籍。
岩本義行は神主打法で知られたスラッガー。1950年の水爆打線は、小鶴、岩本、大岡、三村らが主軸。
フランチャイズプレーヤーは、玉腰年男、井筒研一、中野隆雄。水谷則一もそれに近いが、国民リーグにいた。
綱島新八はPL教団の監督。PL野球部を創設したメンバーの一人だ。
柳沢騰市は入江たか子の事務所からプロ入りした俊足選手。

投手、10勝以上+2。当時は投手の数は少なかった。

Syotiku-P


なんといっても真田重蔵。リーグを代表する剛腕投手。私事ながら母校明星の監督。すでに身を引いていたが、高校のグランドのバックネット裏で見たことがある。
菊矢はタイガースから移籍。もめ事があったようで、ややトラブルメーカー。荒れ球で1939年位は209四球。
林安夫は、シーズン51先発541.1回のNPB記録を残して戦死。
井筒研一は、戦前から戦後までのこのチーム一筋。のち審判。
福士勇も林安夫同様、戦前に投げまくって戦死。
大島信雄はのち解説者。この人の「野球入門」を読んだ人は多いはず。
近藤久は、NPB初の左腕投手。

10/24の18時とする。1日1回4人投票。


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