一昨日の野球賭博のブログに対して長々とした議論になった。私自身の論旨が粗雑で誤解を与えた嫌いがあった。また事実関係をしっかり把握しないまま論じていたのも事実だ。申し訳ない。その反省を踏まえて、もう一度書いておきたい。


NPBの熊崎コミッショナーに調査委員会が提出した報告書の内容は

有害行為を行った選手、球団の特定
その相手となった人物A、Bの特定
有害行為の事実関係
球団の指導、管理体制における責任
を明らかにし、その処分案として
 3選手の無期の失格
 当該球団への制裁金
を提案した。
その背景に
 モラルの欠如
 賭博常習者に対する警戒感の欠如
 賭博の常態化
があるとして、再発防止策を提案している。それは
NPBによる
 年に1度、あるいは2年に1度程度の研修
 ポスターなどによる啓蒙
 選手間での金銭を伴う賭け事の禁止
球団による
 八百長、野球賭博の禁止徹底
 賭博常習者との接触の禁止
である。

報告書では、3選手がA、B、C(笠原の中学の先輩でCを紹介)への聴取も行ったが、携帯電話の解析などは拒否された。

また巨人軍内で賭博が常態化していることが報告されたが、その選手の特定や、さらなる聴取は行っていない。



これだけである。拍子抜けがする。
10月5日から11月10日までかけて、巨人の報告によってそれ以前にわかっていた事実を追認し、形式的な再発防止策を提案しただけである。2年に1度の研修で、有害行為がなくなるのなら誰も苦労はしない。

熊崎コミッショナーは、任意の調査のため、「限界があった」ことを認めた。記者会見では、刑事告発すべきではとの質問もあったが「いいかげんなことではできない。確たる裏付けがないと逆に虚偽告発になる」と反論した。

まず、私はこの調査が「手ぬるい」と思う。
事件の全容解明を目指すのなら、3選手や名前の挙がった野球人3人への聴取の前に、球団全員、球界全体に対する事前調査を行うべきである。
まず、巨人の選手、職員には全員、アンケート形式の調査票を配布、記入させるべきだ。
さらに、期限を切って巨人だけでなく全球団から「匿名での告発」をさせるべきだ。最近では組織の不祥事の徹底解明に「内部告発」は不可欠になっている。
また、各メディアの「巨人軍担当記者」の聴取もするべきだ。メディア関係者からの「匿名での告発」もさせるべきだ。

当事者に対するヒヤリングは、そうした調査を経て、事実関係がある程度把握できた時点で行うべきだ。彼らの前に事前調査によって判明した事実を提示し、「もう逃れられない」という認識を持たせた上で、厳しく追及すべきだ。
もちろん、その際には3選手だけでなく、事前調査で名前が挙がった選手、球団関係者すべての聴取を行うべきだ。
部外者であるA、B、Cへの突っ込んだ事情聴取は、任意ではもともと難しい。球団内部の事情聴取を終えてから、念のために行う程度だと思う。そうしなくても、球界全体への調査を徹底すれば、彼らの実体は見えてこよう。

そういう形で徹底調査をすれば、実態解明は進むと思う。こうした調査で人権が不当に侵害されることはありえないと思うが。

事件の当事者に「何をやったのだ」と聞くのは、調査とはいえない。任意での聴取で自分に不利益なことを言うはずがない。
「調査しましたよ」という体裁をつくろうための形式的な調査だったのは明らかだ。

Kyocera


今回のNPBの発表が「幕引き」だという根拠は、調査報告書の中にすでに再発防止案がもりこまれていたことだ。
熊崎コミッショナーも認めているように「事件の全容解明」には程遠い調査だったにもかかわらず、再発防止案を盛り込むというのは、意味がわからない。
また、報告書が提出された後のオーナー会議で巨人の白石興二郎オーナーは「各球団、オーナー、コミッショナーにご迷惑をかけて申し訳ありません」と謝罪している。熊沢コミッショナーも「各球団とも対岸の火事とはせず、当事者意識をもって、結束して再発防止に全力を挙げて欲しい」といった。
まさに「これで終わりました」にしたい意向がありありと見える。
さらに実態解明をするつもりなら、このタイミングでこんなことは言わないだろう。
コミッショナーも巨人側も「引き続き調査をする」とも「司直の手にゆだねたい」とも言わなかった。

NPB、熊崎コミッショナーが、巨人の意向のままに動いたのは、報告書の内容が、10月に事件が発覚し、巨人が3選手の名前を公表した時点の事実関係の追認に終始し、重要な新発見はほとんどないままに終わっていることで明らかだ。
巨人は、3選手の処分と、原沢代表の辞任を持ってこの事件を終結させたいと思っている。その意向を、NPBは汲んで報告書を書いたのだ。

NPBのコミッショナーはずっとそうだった。

1979年の江川事件のときに、当時の金子鋭コミッショナーは、一時期は巨人を厳しく批判したが、最終的には「金子裁定」で、江川を巨人に与えた。
2004.年の球界再編問題でも、当時の根来泰周コミッショナーは、球界再編を強行しようとするオーナー側に与し「私には権限がない」と調停をしなかった。
2011年、東日本大震災に際してセ・リーグ、巨人が予定通りの開幕を主張、被災地の球団もあったパ・リーグが開幕の延期を主張した際も、世論が圧倒的にパ側についたにもかかわらず、加藤良三コミッショナーはパ側にセの案を呑むように説得しに行っただけである。

コミッショナー制が誕生して64年、巨人の意向にはむかったコミッショナーは川島廣守などごくわずか。
ほとんどが傀儡だった。
そもそも、その選任からして、巨人の意向を汲んだものだった。

(続く)


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