日本のスポーツは「何のためにスポーツをするのか」という根源的な問いかけをしないままに発展してきた。そのことが、陰湿な日本独特のスポーツ風土を生んだ。
明治期に欧米の教育を導入するときに、スポーツもそのカリキュラムの一つとして導入された。
しかし武士階級からなる当時の支配層は「遊びを教育に取り入れるのはけしからん」という意識があった。
お雇い外国人などからスポーツの手ほどきを受けた当時の教育者は、「スポーツは若者の肉体の強靭化に役立つ」という文脈で為政者を説得した。
後に日本が帝国主義の後追いをするようになり、富国強兵が叫ばれるようになると、スポーツは「軍事教練」に類するものと理解されるようになる。
そもそも日本のスポーツは「楽しむため」ではなく「強い兵士を作るため」「お国のため」に導入されたのだ。

野球などの球技はエリート学生を通じて全国にもたらされたが、その際にも「楽しむ」ものではないことが強調された。
各地に学校が創設され、対抗意識が高まるとともにスポーツは学校対抗の「疑似戦争」として興隆した。
ここでもスポーツは「楽しむため」ではなく、学校や強度の栄誉のために奨励されたのだ。

「遊び」を罪悪視し、個は全体のために奉仕すべきだという封建時代以来の価値観が、スポーツの大義をゆがめた。

その経緯を考えれば日本に「勝利至上主義」がはびこるのも致し方ないところだ。
そして勝利のためには、一部のエリート選手のために、多くのその他の選手が犠牲になることもやむなしとされた。
さらに、強いチームを作るためには、強い指導者が必要とされ、指導者が絶対的な権力を持つようになった。封建時代以来の「師弟関係」がそのまま指導システムにはめ込まれた。

要するに日本のスポーツは「軍事」の予備的役割を果たすことで発展してきたのだ。軍隊型の指導は、その文脈の中で発展してきた。
また、スポーツは学校、郷里などへの忠誠心の発露として認知されてきたが、その延長線上に「国家」があったことは言うまでもない。

大正期にはじまった中等学校野球(高校野球)は、その風潮を最大限に高める役割を果たした。
終戦後、様々な戦前の価値観が崩壊したが、日本のスポーツは学校単位で存続したために、戦前からの「勝利至上主義」「エリート主義」「指導者本位主義」は形を変えつつ、根本はそのまま続けられた。

小学校から大学まですべての学校に校庭があり、スポーツのカリキュラムがあり、スポーツクラブがあるのは、世界でも日本くらいだが、そこで教えられるスポーツはスポーツ本来の意義とは異質のものだった。
これに近いものがあるとすれば、旧共産圏のステートアマがそれに近いかもしれない。

言うまでもないことだが、近代スポーツとは、人々が健康に生活するための「文化」「娯楽」の一つであり、市民一人一人が享受すべきものだ。
技術や身体能力に関わらず、人々はスポーツをする権利を有している。
本来は、そういうゆるやかな市民スポーツの円の内側に、競技スポーツはある。本来、アスリートは一般市民の延長線上に存在している。

しかしながら日本のスポーツでは、一般市民は競技からは排除される。ごく一部のエリートアスリートが最優先されている。
野球は最も人気のあったスポーツだけに、草野球など市民スポーツと専門的な野球とは一線が画されている。プロ、アマの指導者は、草野球を同じ競技とはみなしていない。
そして一部の指導者はいまだに一般常識からはかけ離れた論理で、選手を指導しているのだ。

多くの人々がいまだに「勝つためには厳しい指導も仕方がない」というが、なぜ勝つ必要があるのか、それはスポーツの本質とどのようにかかわっているのか、を深く考えることはない。
なぜ暴力を振るうことが、恫喝することが、多くの選手を試合に出さないことが、そして子供を裸で走らせることが、この国ではスポーツの指導として容認されるのか。
そのことの意味を深く考えるべきである。

スポーツは、何かに忠誠を誓う道具でも、出世の手段でもない。市民が純粋に楽しみ、社会全体を豊かにするためにある。スポーツは社会に共有されなければならない。
その延長線上で、スポーツは再構築されなければならない。そうでない限り、日本のスポーツに未来はない。

これを理解しているスポーツ界は、おそらく「100年構想」を打ち出したサッカー界だけだと思う。
しかしこの考え方は、今後、広く受け入れられていくだろう。すでにその兆候はある。

理想論に聞こえるかもしれないが、その前提を誤ると、議論に齟齬をきたすと思うのであえて書いた。

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