背番号には「留め名」になるものと、代々継承されるものがある。そこに法則性はないように思う。ヤクルトの山田哲人は、来季から「1」をつける。スワローズ史上10人目のことだ。
すべて野手。これまでの9人の成績を紹介する。

初代は捕手の井上親一郎、慶應出身。初代主将でもある。引退後、NHKの高校野球解説者となる。
名スポーツアナの島村俊治さんは、1965年夏、井上と組んで岡山大会の準決勝、岡山東商、倉敷商の試合を中継した。平松政次、松岡弘の両エースが投げ合い、日没再試合になる史上希な熱戦の末に岡山東が勝った。島村さんはこのときの実況中継でスポーツアナになる決心がついたという。ご本人に伺った。井上は、島村さんにとって「野球の師匠」だったという。97歳で存命。
二代目は宇野光雄。巨人の正三塁手。選手兼任コーチとして国鉄に移籍。「巨人を見返す」と張り切り、移籍初年度はベスト9になっている。のち監督。
三代目は佐々木重徳。明大を中退して入団。56年のシーズン途中から1をつける。スワローズOB会長でもあった。
四代目は杉本公孝。立教大では長嶋茂雄の三学年下。長嶋が卒業後正三塁手になる。国鉄では立教OBで長嶋茂雄の恩師でもある砂押監督によっていきなり正三塁手に抜擢されるが、大成せず。のち大洋に移籍。
五代目は奥柿幸雄。静岡商から66年一次ドラフト1位でサンケイに。強打者として期待が集まり、王貞治にあやかっていきなり「1」をつけたが1970年シーズン中に失踪してそのまま消えた。背番号「1」しかつけなかったのは奥柿だけ。
六代目はご存じ若松勉。北海高、電電北海道から70年ドラフト3位でヤクルトに。当初は「57」だったが、奥柿の退団後「1」に。安打製造機として活躍。殿堂入り。
ここで永久欠番でもよかったのだが。
このあいだJリーグ広島のシーズン優勝で、森保監督が「広島の皆さん、優勝おめでとうございます!」とやったが、若松勉の迷言は、名言になろうとしているのか。
七代目はぶんぶん丸こと池山隆寛。83年市立尼崎からドラフト3位で入団。当初は「36」だったが、92年に「1」に。池山は2000年には岩村明憲に三塁のポジションと「1」を譲り、「36」に戻っている。
八代目はその岩村明憲。96年宇和島東からドラフト2位で入団。当初は「48」をつけていたが、池山に譲られる形で「1」に。MLBにわたってタンパベイ・デビルレイズでも「1」をつけた。楽天を経て2013年ヤクルトに復帰したがこのときはもとの「48」をつけた。
九代目は青木宣親。日向高、早稲田大を経て2003年ドラフト4巡目で入団。6年間「23」をつけていたが、2011年に「1」に。しかし2年でMLBにわたっている。MLBでは「7」。※すいません、表が切れていました。追加しました。

そして十代目に山田哲人。履正社高校から2010年外れ外れドラ1で入団。今年まで「23」をつけていたが、これも青木の背番号だから期待されていたことはわかる。
ヤクルトの「1」は、バリバリのエリートではなく、入団後の活躍でもらった選手がほとんどだ。実力派の選手が多いと言えるだろう。
背番号「1」での実働年数、安打数は若松勉の18年、2090安打がダントツの1位だが、山田はこの数字を塗り替えるだろうか?それとも彼もMLBに移籍するか?
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名スポーツアナの島村俊治さんは、1965年夏、井上と組んで岡山大会の準決勝、岡山東商、倉敷商の試合を中継した。平松政次、松岡弘の両エースが投げ合い、日没再試合になる史上希な熱戦の末に岡山東が勝った。島村さんはこのときの実況中継でスポーツアナになる決心がついたという。ご本人に伺った。井上は、島村さんにとって「野球の師匠」だったという。97歳で存命。
二代目は宇野光雄。巨人の正三塁手。選手兼任コーチとして国鉄に移籍。「巨人を見返す」と張り切り、移籍初年度はベスト9になっている。のち監督。
三代目は佐々木重徳。明大を中退して入団。56年のシーズン途中から1をつける。スワローズOB会長でもあった。
四代目は杉本公孝。立教大では長嶋茂雄の三学年下。長嶋が卒業後正三塁手になる。国鉄では立教OBで長嶋茂雄の恩師でもある砂押監督によっていきなり正三塁手に抜擢されるが、大成せず。のち大洋に移籍。
五代目は奥柿幸雄。静岡商から66年一次ドラフト1位でサンケイに。強打者として期待が集まり、王貞治にあやかっていきなり「1」をつけたが1970年シーズン中に失踪してそのまま消えた。背番号「1」しかつけなかったのは奥柿だけ。
六代目はご存じ若松勉。北海高、電電北海道から70年ドラフト3位でヤクルトに。当初は「57」だったが、奥柿の退団後「1」に。安打製造機として活躍。殿堂入り。
ここで永久欠番でもよかったのだが。
このあいだJリーグ広島のシーズン優勝で、森保監督が「広島の皆さん、優勝おめでとうございます!」とやったが、若松勉の迷言は、名言になろうとしているのか。
七代目はぶんぶん丸こと池山隆寛。83年市立尼崎からドラフト3位で入団。当初は「36」だったが、92年に「1」に。池山は2000年には岩村明憲に三塁のポジションと「1」を譲り、「36」に戻っている。
八代目はその岩村明憲。96年宇和島東からドラフト2位で入団。当初は「48」をつけていたが、池山に譲られる形で「1」に。MLBにわたってタンパベイ・デビルレイズでも「1」をつけた。楽天を経て2013年ヤクルトに復帰したがこのときはもとの「48」をつけた。
九代目は青木宣親。日向高、早稲田大を経て2003年ドラフト4巡目で入団。6年間「23」をつけていたが、2011年に「1」に。しかし2年でMLBにわたっている。MLBでは「7」。※すいません、表が切れていました。追加しました。

そして十代目に山田哲人。履正社高校から2010年外れ外れドラ1で入団。今年まで「23」をつけていたが、これも青木の背番号だから期待されていたことはわかる。
ヤクルトの「1」は、バリバリのエリートではなく、入団後の活躍でもらった選手がほとんどだ。実力派の選手が多いと言えるだろう。
背番号「1」での実働年数、安打数は若松勉の18年、2090安打がダントツの1位だが、山田はこの数字を塗り替えるだろうか?それとも彼もMLBに移籍するか?
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マリナーズでは「8」を纏うそうですね。