通算打率.205の炭谷銀仁朗にあやかって、規定打席以上で打率2割以下の選手のランキング=銀仁朗ラインを作った。
炭谷銀仁朗自身は、2割以下で規定打席に到達したことはない。
しかし2015年は、399打数84安打.211で30傑中30位、これは21世紀以降での規定打席到達打者では最低打率だ。

1950年以降の規定打席以上打者の低打率ランキング。順位はその年の順位。

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1位の坂井豊司は県岐阜商から44年に阪急に入団した内野手。一時期プロを離れたが50年に広島に復帰。この年に記録したもの。坂井はこの年限りで退団している。

2位の片岡照七は同志社大から49年に東急に入団した外野手。2年目に記録した。

杉山悟は本塁打王、打点王もとったスラッガーだったが晩年は打率が急降下した。

綱島新八は立教大、社会人を経て49年に大映に入団した外野手。引退後PL教団に入り野球部を率いた後に、PL高校の3代目監督となり、強豪校の礎を築いた。

このランキングに2回入っているのは、小池兼司。南海の遊撃手。守備の名手として鳴らした。低打率だったがプルヒッターとして知られ、68年には13本塁打を記録している。

1982年以降、1割台で規定打席に達した選手はいない。
チーム、指導者が記録を強く意識し出したために、低打率の選手はスタメンから外れることが多くなったからだ。

平成以降、250以上でランキングの最下位になったケースが3度ある。

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.260近い打率では、最下位と言っても貧打とは言えない気がする。

1割台でランキングに入っていた選手は、打撃以外の何らかの能力が評価されていたと考えうことができるが、一方で、チームの実力格差が大きくて「ほかにいないから使われていた」という一面もある。戦力均衡化が進むとともに、こういうケースは減っていった。

MLBでは通算462本塁打のアダム・ダンが2011年、ナ・リーグのナショナルズからア・リーグのホワイトソックスに移籍して、極端な不振に陥り.159を記録。チームの配慮によるのか、6打席差で規定打席を外れたが、もし達していたら20世紀以降では1991年のロブ・ディアーの.179を大きく下回る大記録が生まれていたはずだ。

炭谷銀仁朗は、今年はバットでも貢献すると宣言したが、久々にレギュラーの「1割打者」を見てみたい気がする。


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