読者各位の多くが原点にあたっていないようなので、少し詳しく紹介することにする。
まずは最初の3冊。
黎明編 運命的な出会いの演出

「巨人の星」の始まりは良く知られているように1958年、巨人に長嶋茂雄が入団するところから入っている。
入団記者会見で、千葉茂から長嶋茂雄に背番号3が譲られる。巨人は一塁川上哲治、二塁千葉に続いて三塁にも大選手が生まれようとしている、というところで川上哲治が「偉大な三塁手になるはずの選手がいた」と言い出して、長々と幻の三塁手について話すのだ。
長嶋茂雄などそっちのけで。
それが星一徹。川上の後輩選手で戦争で肩を痛めたため魔送球を編み出すが、それが野球にはふさわしくないと川上に諭され、引退した。
「偉大な三塁手」をつぶしたのは川上だったのだが、わりと平然と川上は話す。
その最中に会場からボールが投げられる。そのボールは急角度で曲がって長嶋の頭をかすめて川上に。魔送球だ!投げたのは星飛雄馬。飛雄馬は一徹の子だと名乗って、会場からつまみ出される。
家に帰ると、記者会見の様子をテレビで見ていた星一徹が怒ってテレビを破壊し、息子をしかりつける。

強烈なシーンだが、全部虚構だ。入団記者会見はこういう形では行われていない。そもそも当時の監督、水原円裕(茂)が出てこない。川上はまだ選手であり、会見を取り仕切るはずがない。
また、1958年は皇太子ご成婚の前であり、テレビはほとんど普及していなかった。いくら星一徹が「日本一の日雇い労働者」でも、今の価格で数百万円もするテレビを持っているはずもない。事実、そのあと星家には長いことテレビがないのだ。テレビはローンで買ったと姉の明子は言っているが、星家はすさまじい借金に苦しんだはずである。
星飛雄馬はこのとき小学校3年生。8歳の設定だが、非常に大人びている。飛雄馬は大リーグ養成ギブスという責め具をつけている。この設定が異様だ。

飛雄馬は不良野球チーム「ブラックシャドーズ」を率いる花形満と出会う。また王貞治とも知り合いになる。
これもよく言われているように、星飛雄馬と2歳違いの花形は10歳くらいのはずだが、オープンカーを運転している。またそのオープンカーには野球1チーム分の人間が乗っている。

黎明編は、昔の漫画の荒唐無稽な部分がかなり色濃く残っているが、同時に登場人物が運命の糸によって引き寄せられることが、力強くストーリーで描かれている。

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青雲編 高校野球に

時代は1965年になる。花形は神奈川の紅洋高校を率い、一躍注目される存在に。
星一徹は、花形と戦わせるために、息子を青雲高校に入れようとする。そのために昼夜兼行で日雇いの仕事をして貯金をする。
翌年、星は青雲高校を受けるが、面接で「父ちゃんは日本一の日雇い労働者だ」と大声で言って落ちそうになる。当たり前だと思う。
しかしPTA会長で大金持ちの伴大造の息子、伴宙太との出会いがあって、飛雄馬は入学する。伴宙太は柔道部をやめて野球部に入り、星の無二の親友となる。1歳上のはずだ。
伴の父親と花形の父親はともに自動車メーカーを経営しており、ライバル関係にある。
ここまですべて星一徹の「計算通り」だったという。。諸葛孔明顔負けの策士である。

そこへ、花形満率いる紅洋高校から練習試合の申し入れがある。そこで神奈川県で紅洋と青雲の練習試合が行われる。
たかが練習試合なのに、なぜか地元のラジオ局が実況放送をする。会場は超満員。
星一徹は長屋でラジオを聴いている。今度は叩き壊したりしない。球場には左門豊作がやってきて、敵情視察をする。

熱球編 花形との死闘

試合は大熱戦の末に引き分けに終わる。左門豊作が花形、飛雄馬の前に現れてライバルの誓いをする。
野球部を強くしたい青雲PTA会長の伴大造は一徹に監督を依頼する。
いろいろあって、野球部の監督に星一徹が就任。
一徹は、促成栽培でチームを鍛え上げ紅白戦をさせて、わずか数週間で辞任する。
甲子園の予選が始まる。
伴の家に合宿した青雲ナインは食中毒などのアクシデントもあったが、星一徹前監督の教えを守って勝ち進み、甲子園の切符を手にする。

ようやくストーリーが落ち着いてきたという感じだ。
この時期の星一徹は熱血で、飛雄馬には厳しいが、名指導者ぶりも発揮し、親ばかでもあり、気のいい親父さんのようなところもある。非常に魅力的だ。

のちにホイチョイプロダクションが、星一徹がしょっちゅうちゃぶ台をひっくり返したとして「あれさえしなければ星家の家計はもっと楽だったはず」と書いたが、そんなにひっくり返してはいない。
しかし、高価なテレビを叩き壊した借金が、星家の家計を長く圧迫したのは間違いないだろう。



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