本日のコメント。正解はすぐには見つからないだろうが、良いご意見をいただいている。

智弁和歌山の高嶋監督
bunchousann

智弁和歌山の高嶋監督のような指導者がもっと増えてくれればいいんですけどね。部内での競争が少ないからプロへ進んでから競争に勝てないのだという口さがない声もあるようですが、NPBの1軍登録枠とほぼ同数の30人というのは、1チームの人数としては理想でしょう。
リーグ戦の話になりますが、甲子園という箱がないぶん、高校野球の魅力が半減するという人もいるでしょう。実際にサッカーの高校年代で行われているプレミアリーグにしても、Jの下部組織が参加するJユースカップにしても、エリートたちの大会であるはずなのに注目度は高校選手権の足元にも及びません。ただ、この年代ではプレミア王者こそが年代最強チームの称号を得られるということで、少しづつではありますが権威を増している印象はあります。
高校野球に話を戻すと、おそらく甲子園の権威が揺らぐことはないと思いますが、だからやらないという選択肢も勿体ないとも思います。WBCやプレミア12にも言えることですが、大会というものは続けることでしか権威付けというのはできないのかもしれません。
あと、話がまとまらなくて申し訳ないのですが、高校球児の中には、甲子園で燃え尽きたくないという選手もいると思います。メンタリティとしてはサッカーにおけるJの下部組織の選手たちに似ていると思うのですが、最初からプロを目指す選手たちに対する高校野球以外の受け皿があってもいいと思うのです。そういう選手たちのチームがここで構想されているリーグ戦に参加してくれれば、きっとリーグの権威を上げるためによい効果をもたらすはずです。

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補欠にもチャンスがあれば問題はない
座頭虫

補欠の発生はあくまでも競争の結果であって,全ての選手がレギュラーになる可能性があるような状況で競争が行われるならば,なんら問題はないと思います.スポーツは人生にほぼ無害な形で失敗ができる活動なので,むしろ成人前の段階ではスポーツでの失敗を体験したがいいとすら思っています.
たとえある学生が3年間背番号をもらえなかったとしても「あの時もっと頭を使って計画的に練習に取り組んでいれば...」とか「先輩のアドバイスを素直に聞いておけば...」というような形でその後の勉強や仕事に対する教訓が得られるのであれば,その学生は素質だけでレギュラーになった学生よりもはるかに良い教育機会を得たといえるはずです.もちろん本人がレギュラーになれる可能性を見出せないような環境は論外ですが.
以上のような理由から補欠なしにこだわることはむしろスポーツの教育的な価値を損なうと思います.必要なのは質の高い競争でしょう.

野球バカを作らないこと
TUCK

オコエ選手が楽天のキャンプに参加しているという記事を読んで、ふと高校の授業は出なくていいの?と思いました。まだ彼は卒業前で、期末試験も残っているのではないでしょうか。
教室にはたぶんオコエ選手の机があって、朝の点呼の際には「オコエくんは今日も休み」とか先生が言うか、もう呼ばずにスルーなのか、と想像してしまいました。
学校教育とは突き詰めれば社会で生き抜く術を教えることだと考えています。そういう意味ではオコエ選手がプロ野球チームのキャンプに参加することは、教育の一環として認めれてもいいようにも思います。
一方で、野球にまみれて野球漬けの教育の結果、野球を止めたときにやることがない、自分のやるべきことがわからない、とならないかと危惧します。野球エリートは社会においてもエリートたるべきだと思いますが、現実には野球バカを作っているのではと思ったりもします。広い視野を持てるようにするのも、教育の大切な役目ではないでしょうか。

エリートにしがみつく文化が弱くなれば
アナリスト

やはり、「野球の本質」という表現はよろしくないかも。
団体種目における競技スポーツの本質、という方がしっくりくるかと思います。
つまり、全体主義になる、チームの勝利と引き換えに個人が尊重されなくなる、監督やコーチみたいな目上は絶対で逆らえない、試合に出られない不遇な存在が生まれる、その部分にブラック企業や専制国家を重ねる人も多いというわけですかな。
私は、もう早くから草野球に移行したので、勝ち負けもなければ、監督もサインプレーも控え選手もない、嫌な思い一つなかった野球でした。
私は小学校途中からでしたけど、皆が野球エリートになりたい、可能性に賭けたいと、しがみつく文化が弱くなれば、野球の負の遺産も少しは変わる気がします。

「野球の本質」という言葉を競技スポーツの本質にしてしまうと、この議論をやる意味がなくなってしまう。=であることはわかるが、「野球の本質」でいかせていただく。


暴力を絶対否定すべき
ヘギョン

今はだいぶ少なくなったようですが、日本人は、野球部だけではなく子供が悪いことをすると、親が頭や顔、尻などをぶったりして叱りつけるのが普通だったと聞いています。
とても恐ろしいいとです。
学校の先生が、げんこつを落とすのも少し前までは普通だったとか。
これもとても恐ろしいことです。
そのような習慣が、体育会には色濃く、特に野球部には色濃く残されているのだと思います。
正にこれが広尾さんのいう通り外道の連鎖を作り出していたように思います。
親が殴るなど暴力を伴わないしつけをし、叩いたりすることがいかなる場合 でも良くないこと、口で分かりやすくなぜ悪いか考えさせ諭すことをしていけば、子供が大人になった時、 自分で考える習慣がつき、指導者となった時も暴力や高圧的な態度で服従させない、自分で考えさせることが身につくと思います。


1966年榎本喜八、全試合一覧

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