薬剤について、今、調べたところまでをまとめておく。知っている方はご教示いただきたい。
代表的な覚せい剤であるメタンフェタミンは、日本人が発明した。日本薬学の開祖と言ってもよい長井長義である。
大阪、道修町の大日本住友製薬(旧大日本製薬)大阪本社には、技師長として会社の礎を築いた長井の大きな写真が飾ってある。長井は日本薬局方も定めた。日本最大の薬学者と言って良い。但し覚せい剤のことは会社の沿革から削られている。
長井がメタンフェタミンをエフェドリンから合成したのは1893年のことだ。
疲労回復に劇的な効果があることが確認され、大日本製薬から「ヒロポン」の名前で発売された。疲労がポンと消えてなくなるからだ。

日中戦争の時期には、日本軍の必需品とされた。「夜でも目が見える」とされ、戦闘機乗りの愛用品だった。撃墜王が「ヒロポンのおかげ」と言っている記事もある。
陸軍でも歩兵を中心に使用された。
日本軍が勇敢で命知らずだったのは、ヒロポンによるところも大きかったと言われる。

戦後、陸軍物資が闇市に流れると、一般市民もヒロポンを愛用するようになった。終戦後の写真を見ると、薬局に「ヒロポンあります」の看板が普通に掲げられている。
寄席芸人はヒロポン愛好者がたくさんいた。六代目笑福亭松鶴も愛用していた。吾妻ひな子は中毒に苦しんだ。
ヒロポンは強烈な常習性があり、禁断症状も強い。ヒロポン中毒、いわゆる「ポン中」は廃人の同義語のようになり、政府は1951年に覚せい剤取締法を施行し、ヒロポンを禁止した。これは世界で一番早かった。

大日本製薬はヒロポンを海外に大量に輸出していたが、これが連合国軍、枢軸軍双方で広く使われた。戦後、メタンフェタミンは世界中に広がり、アジアを中心に製造された。

メタンフェタミンと同様の作用をするアンフェタミンは、ルーマニアで合成されたが、こちらはヨーロッパを中心に広く製造された。
戦前、武田薬品はこれを輸入し、ヒロポンに対抗する商品としてゼドリンの名前で販売していた。

ヒロポン、ゼドリンは、少し前に日本人にはなじみのあった薬剤だった。しかし政府が禁止してからは、裏社会の商材となり、主にアジア各国から密輸されたメタンフェタミン、アンフェタミンが国内で流通している。
清原和博が常習したのはアンフェタミンだと言われているが、これもアジアで製造されたものが暴力団経由で流れたものである。
日本国内で違法薬物になっているのだからNPBでは当然のことながら、はるか以前からメタンフェタミン、アンフェタミンの使用を禁止している。

P4044607


グリーニ―は、医薬品成分クロベンゾレックスである。1970年前後にアメリカで合成され、ダイエットなどの目的で製品化された。商品名はアセニックス、フィネデルなど。
しかし体内でアンフェタミンに変換されることがわかり、すぐに販売停止になった。ただしその使用は違法ではなかった。
アメリカのプロスポーツ界では興奮剤としてグリーニ―を使う選手が急増。特にMLBではグリーニ―の使用が蔓延した。
NPBにも外国人選手がもたらして、多くの選手が使用するようになった。

グリーニ―は1974年以来、WADAが定める禁止薬物であり、ドーピングの対象となっている。

しかしMLBはWADAに加盟せず、そもそもドーピング検査を実施していなかったし、その規準もなかったからアンフェタミンやグリーニ―を規制するすべはなかった。

2004年になってMLBはドーピング検査を実施したが、この時点でアンフェタミン、グリーニ―を使用していた選手は極めて多かったとされる。
2006年になって、MLBはようやくグリーニ―の使用を禁止した。

アメリカではアンフェタミンは使用が制限されているが、グレーゾーンでの使用が現在も続いている。また、グリーニ―は製品の販売は停止されているが、調べた限りでは使用は禁止されていない。

日本で1990年以降、グリーニ―が広まったのは、アンフェタミン、メタンフェタミンなどの覚せい剤が日本では違法になっていたからだ。
グリーニ―はそもそも日本に入ってきていない前提なので、規制の対象外だった。使用が見つかっても覚せい剤取締法でつかまることはない。だから、グリーニ―だけが広まったのだ。

何年かは確認できないが、日本でもグリーニ―は、禁止薬物になったようだ。

覚せい剤はアジアから暴力団ルートで日本に入ってくる。
グリーニ―は主としてアメリカから、アスリートやその関係者を経由して入ってくる。

この問題が難しいは、ある薬剤が「違法か」という問題と「禁止薬物になっているか」という問題が複雑に絡み合っているからだ。

整理するとこういうことになる。

YAkubutu


2005年に「週刊朝日」がプロ野球選手のグリーニーの使用を大々的に報じたが、この時点で違法薬物ではないため、それ以上の広がりはなかった。

野村貴仁がグリーニ―の使用を大っぴらに言うのは、当時、その使用が違法ではなかったからだ。また彼が現役時代は、NPBの禁止薬物でもなかった。野村はグリーニ―の使用ではなく覚せい剤取締法違反で逮捕されたのだ。

こうしてみると、国、行政やNPB、MLBの薬物規制が後手に回り、中途半端だったことが薬物汚染をここまで広げたという側面があることがわかる。

恐らく、今もNPBにはグリーニ―や同様の効果のある薬物を使用している選手がかなりいるのではないかと思われる。覚せい剤はさすがに少ないと思うが、このままドーピング検査をすれば、大変なことになるのではないか。

清原和博はもともと裏社会と親和性の強い人物だったが、ずぶずぶの関係になったのはアンフェタミン=覚せい剤を介してのことだ。
覚せい剤が違法でなかったら、清原が龍の彫り物をすることがなかったのではないか、という思いも一瞬よぎる。

いずれにしてもこの問題を中途半端に放置すると、あとあと大変なことになると思う。

このことに詳しい読者各位のご教示を賜りたい。


注目!王貞治全本塁打
王貞治、チーム別&球場別本塁打数|本塁打大全

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!


好評発売中