いったい、いつから松坂大輔の胸のすくような投球を見ていないのだろう、と思った。

MLBにわたってからの松坂大輔の先発登板は全部追いかけていた。

2007年のMLBデビュー以来、松坂はマウンドの固さや日米での調整法の違いなどに適応できず、苦労してきたが、それでも調子のよい時は快投を見せてくれた。

よく言われるようにいいときの松坂は「躍動感」があった。1球1球飛び跳ねるようにボールを投げた。
投げ終わった後の一瞬の「どや顔」もよかった。

D-K


松坂は「勝負を挑む投手」だった。
全盛期のアレックス・ロドリゲスに果敢に勝負を挑み、1本塁打こそされたものの26打数4安打に抑えている。
イチローとは25打数7安打.259。
日本人投手に異常な敵愾心を燃やしていたゲイリー・シェフィールドには13打数7安打2本塁打と打ち込まれた。
しかしシェフとの勝負は非常に面白かった。松坂は打たれても勝負を挑んでいた。それがこの打者をさらにエキサイトさせていた。
岩村明憲は大嫌いで、32打数12安打.375。

勝っても負けても打者との真剣勝負が松坂の魅力でもあった。
次の一球は速球なのか、スライダーか、ジャイロボールか、息をのんで見つめてしまう面白さがあった。
四球が多く、球数がかさみ、MLB的には優秀な投手とは言えなかったが、松坂は「見て面白い投手」だったのだ。

2011年6月にトミー・ジョン手術。
ここからは松坂のマウンドは暗転する。

やはり焦りがあったのだろう。高校時代から世代の目標となり、圧倒的な結果を残してきただけに、現実の自分と、理想の自分がかい離していることを直視できなかったのではないか。
そのリハビリは性急に過ぎた。少しでも早くマウンドに上がりたい、早く投げたいという焦りを感じた。

2012年に復帰するも散々な出来。

2013年にはインディアンスからメッツへ。メッツ移籍後、カーブを中心に配球を変えて一時的ではあるが好投を見せる。
それは、往時の松坂を知るものには物足りなかったが、速球が決め球にならなくても打者を抑えることができるのは、松坂大輔の抜群の野球センスのなせる業だと思えた。
しかしそのモデルチェンジも長くは続かなかった。

先発から救援投手へ、敗戦処理へ。メジャーの複数年契約からマイナー契約へ。
松坂は下り坂を降り切って、日本に戻ってきた。

ソフトバンクは3年12億円で松坂を迎え入れた。
昨年春、ヤフオクドームの正面には松坂大輔の大きな写真が掲げられた。福岡のファンも期待した。
しかし松坂は投げられなかった。
原因がよくわからないままにブルペンに立たなくなり、引きこもりのような状態になった。
昨年の登板は1試合だけ。
5月20日のウェスタン・リーグのオリックス戦。先発東浜巨の後を受けて6回からマウンドに立つも2安打を打たれ1失点(2回2被安打自責点1)。
8月に内視鏡による右肩の手術を受ける。

今年の春は積極的にブルペンに入り、連日ミットにいい音を響かせていると報じられた。
シチュエーション打撃では、ソフトバンク、そして球界のニュースター、柳田悠岐をして「やばい」と言わしめたスライダーを披露した。

ブルペンでの投球フォームは、体がかしぎ、半身の手投げのように見えて仕方がない。全盛期のフォームとはかなり違う。
そもそもこういうブランクを経て完全復活した投手は、過去にいただろうか。

それでも松坂大輔に期待したい。
最晩年に一瞬の輝きを見せて消えていく結果になるかもしれないが、今一度、会心の投球を見たい。

松坂大輔は、KKコンビとともに、10代のころから「特別の存在」だった。プロ入りするときも、MLBに行くときも、同世代の先陣を切っていた。
成功して当たり前、トップを取って当たり前、と思われてきた。
そういう存在が、美しく黄昏るのは誠に難しい。

同じ甲子園のヒーローだった清原和博が、これ以上ないというほどみじめな穢れ方をしている今、松坂は「美しい姿」で物語を終えてほしいと願う。


1951年江藤正、全登板成績【最多勝でパ・リーグ初優勝に貢献】

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