先々月の「昭和20年代野球倶楽部」は「純パの会」だった。会員各位がパ・リーグについて熱く語っておられた。そのときに「3月5日は10.19から1万日です。旧川崎球場でイベントやります」と話された。
「1万日」と聞いて「4万6千日様、お暑い盛りでございます」の桂文楽の顔が浮かんだが、要するに30年近い月日がたったわけだ。
あの試合の主役は近鉄であって、ロッテではない!と言いたい気もしたが、試合は川崎球場だから、そこでやるのは文句がない。
私は、大阪の曽根崎新地の居酒屋でテレビにくぎ付けになった。コピーライターだったから、夜も会社で仕事をする気で、居酒屋には晩飯を食べに行ったのだが、そのまま立てなくなって、ビールを頼んで飲みに切り替えた覚えがある。
川崎球場に行くことはできないが、10001日目の今日、私なりに10.19を振り返っておきたい。
その日のボックススコアと、出場選手のキャリアの数字を出した。
映画「フロントページ」風に、あのドラマの登場人物の「その後」を記録として載せたわけだ。


よく知られているように、これはダブルヘッダーの2試合目。1試合目は近鉄が4-3で勝った。勝利投手は吉井、セーブは阿波野だった。
その時点で近鉄は74勝52敗3分の.587、1位の西武は73勝51敗6分.589でシーズンを終えている。
この試合で勝てば近鉄は75勝52敗3分の.591となり優勝が決まる。引分なら2位。
ロッテは52勝72敗1分で最下位だったから、ふつうに考えれば、気力、実力ともに近鉄に大いに劣っているはずだが、ロッテはこの試合、異様な粘りを出して引分にしてしまったのだ。
その経緯はすでにご存じだろうから説明しない。
その試合に出た顔ぶれだ。
ちなみにダブルヘッダーの1戦目に出て、歴史的な2戦目はベンチにいた選手は、近鉄は尾上旭、村田辰美、古久保健二、小野和義、石本貴昭ら、ロッテは田野倉利行、小山昭吉、山本功児、小川博、牛島和彦、平沼定晴らがいる。
近鉄の方がベテランが多い。
大石第二朗は翌日が30歳の誕生日だった。
ブライアントは、大麻所持、使用で球界を追放されたデービスの代わりに中日から移籍した年。74試合で34本塁打という驚異的な数字を残し、近鉄躍進の原動力となった。
ベン・オグリビーはMLBのスター選手というふれこみだった。たしかに風格があったが、39才であり、パワーは落ちていた。
羽田は西本幸雄の教え子。ベテランの域に達していた。淡口憲治、ロッテのベンチにいた山本功児は、三田学園の先輩、後輩だ。この3人が三田の出世頭。
勝負強かった鈴木貴久は2004年に40歳の若さで世を去っている。
中村紀洋の義兄として知られる村上は男前で、当時売り出し中の若手打者だった。
そして、今や福山雅治に「お義父さん」と呼ばれる吹石が7番で先発している。
スラッガー栗橋は晩年。
現楽天監督も、当時は「山下、山下男前」と声がかかった男前でもなんでもない山下和彦に正捕手の座を奪われていた。
投手陣は若手を起用していた。
高柳は顔の四角い球威のある先発投手。
第1戦の先発吉井、抑えに回ったエースの阿波野が2試合目も投げている。必死だったのだ。
当時23歳だった吉井は10.19を知る最後の選手として2007年に現役を引退している。
ビッグマウスの加藤、この年ルーキーの木下も投げている。
ロッテの顔ぶれは若い。稲尾和久から有藤道世に監督が交代して2年目。落合博満が前年に中日にトレードで移籍したこともあって成績は低迷。
西村、佐藤、投手から転向した愛甲と若い野手が上に並んでいい感じだったのだが、中軸以下がだめだった。
ビル・マドロックはオールスターのMVPにも選ばれ、首位打者、2000本安打も記録している大選手だが、とにかく素行が悪いことで知られマッドドッグと呼ばれていた。私は彼を見るために大阪球場に行った。ころころ太った黒人選手だった。
そんなにひどいことはしなかったように思うが、成績不振のため川崎のファンにやじられまくっていたようだ。
法政時代の江川卓の捕手、袴田が8番、私はこの選手はロッテの監督になると思ったが。
落合の腰ぎんちゃくみたいだった森田が遊撃。この選手も出世せず。
落合と交換でやってきた上川が代打で出場。
人気のあった名内野手水上もベテランになっていたが出場していた。
園川一美は、1度しか二けた勝利は上げていないが、長くロッテのローテを維持した投手。翌年に引退している。
なかなか渋い顔ぶれだ。この試合の最中に阪急ブレーブスの身売りが決まった。確か店のおやじが持ってきた夕刊フジで知ったように思う。
10.19がキャリア最後の試合になった選手が両チームで3人いる。
吹石徳一、梨田昌孝、仁科時成だ。
ベン・オグリビーもNPBでは最後だったが、翌年、ブリュワーズのファームで2試合出ている。
3人にとってはどんな引退試合よりも印象に残るフィナーレだったのではないか。

1968年池田重喜、全登板成績【新人ながら5勝を上げる】
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私は、大阪の曽根崎新地の居酒屋でテレビにくぎ付けになった。コピーライターだったから、夜も会社で仕事をする気で、居酒屋には晩飯を食べに行ったのだが、そのまま立てなくなって、ビールを頼んで飲みに切り替えた覚えがある。
川崎球場に行くことはできないが、10001日目の今日、私なりに10.19を振り返っておきたい。
その日のボックススコアと、出場選手のキャリアの数字を出した。
映画「フロントページ」風に、あのドラマの登場人物の「その後」を記録として載せたわけだ。


よく知られているように、これはダブルヘッダーの2試合目。1試合目は近鉄が4-3で勝った。勝利投手は吉井、セーブは阿波野だった。
その時点で近鉄は74勝52敗3分の.587、1位の西武は73勝51敗6分.589でシーズンを終えている。
この試合で勝てば近鉄は75勝52敗3分の.591となり優勝が決まる。引分なら2位。
ロッテは52勝72敗1分で最下位だったから、ふつうに考えれば、気力、実力ともに近鉄に大いに劣っているはずだが、ロッテはこの試合、異様な粘りを出して引分にしてしまったのだ。
その経緯はすでにご存じだろうから説明しない。
その試合に出た顔ぶれだ。
ちなみにダブルヘッダーの1戦目に出て、歴史的な2戦目はベンチにいた選手は、近鉄は尾上旭、村田辰美、古久保健二、小野和義、石本貴昭ら、ロッテは田野倉利行、小山昭吉、山本功児、小川博、牛島和彦、平沼定晴らがいる。
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勝負強かった鈴木貴久は2004年に40歳の若さで世を去っている。
中村紀洋の義兄として知られる村上は男前で、当時売り出し中の若手打者だった。
そして、今や福山雅治に「お義父さん」と呼ばれる吹石が7番で先発している。
スラッガー栗橋は晩年。
現楽天監督も、当時は「山下、山下男前」と声がかかった男前でもなんでもない山下和彦に正捕手の座を奪われていた。
投手陣は若手を起用していた。
高柳は顔の四角い球威のある先発投手。
第1戦の先発吉井、抑えに回ったエースの阿波野が2試合目も投げている。必死だったのだ。
当時23歳だった吉井は10.19を知る最後の選手として2007年に現役を引退している。
ビッグマウスの加藤、この年ルーキーの木下も投げている。
ロッテの顔ぶれは若い。稲尾和久から有藤道世に監督が交代して2年目。落合博満が前年に中日にトレードで移籍したこともあって成績は低迷。
西村、佐藤、投手から転向した愛甲と若い野手が上に並んでいい感じだったのだが、中軸以下がだめだった。
ビル・マドロックはオールスターのMVPにも選ばれ、首位打者、2000本安打も記録している大選手だが、とにかく素行が悪いことで知られマッドドッグと呼ばれていた。私は彼を見るために大阪球場に行った。ころころ太った黒人選手だった。
そんなにひどいことはしなかったように思うが、成績不振のため川崎のファンにやじられまくっていたようだ。
法政時代の江川卓の捕手、袴田が8番、私はこの選手はロッテの監督になると思ったが。
落合の腰ぎんちゃくみたいだった森田が遊撃。この選手も出世せず。
落合と交換でやってきた上川が代打で出場。
人気のあった名内野手水上もベテランになっていたが出場していた。
園川一美は、1度しか二けた勝利は上げていないが、長くロッテのローテを維持した投手。翌年に引退している。
なかなか渋い顔ぶれだ。この試合の最中に阪急ブレーブスの身売りが決まった。確か店のおやじが持ってきた夕刊フジで知ったように思う。
10.19がキャリア最後の試合になった選手が両チームで3人いる。
吹石徳一、梨田昌孝、仁科時成だ。
ベン・オグリビーもNPBでは最後だったが、翌年、ブリュワーズのファームで2試合出ている。
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1968年池田重喜、全登板成績【新人ながら5勝を上げる】
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手元の資料を見たのでいくつか指摘を。
>第1戦の先発吉井
先発したのは左腕小野和義で7回投げました。吉井は8回1イニング投げました。
>園川一美は、1度しか二けた勝利は上げていないが、長くロッテのローテを維持した投手。翌年に引退している。
入団したのは86年で2位指名でした。引退したのは99年で14年現役を続けました。翌年10.13ロッテ-オリックス戦で先発したのも園川だった、と今知りました。
広尾さんが述べていたのがロッテ捕手袴田がなぜロッテの監督になれなかったのか?今でも不思議でならない。バレンタイン退任以降声が掛からない理由は何だろう。
阪急ブレーブスの身売りはあと1日遅く発表してもよかったと思う。10.17(月)の西宮球場で近鉄は阪急に1-2で敗れるが、上田監督はこの日阪急が身売りされるのを知っていたという。
この年は10/22から日本シリーズが始まるので、せめて前々日の10/20に身売りを発表して欲しかったと今思う。
10.23が本拠地最終戦Wヘッダーだし。