昨年発覚した野球とばく事件についてのNPBや巨人の対応を見ていて、一般社会との大きな「ずれ」を感じる。

今日、週刊文春の記事で紹介した通り、巨人の選手がファンゴ(ノック)を受ける際に、エラーした選手が一緒に受けていた選手に金を払うのが常態化していた話。
文春の問い合わせに対して
巨人は
「この行為は選手が技術向上を目指し、モチベーションを維持するために行ったもので、賭博行為とは性質が異なる」が、
「誤解を呼ぶ恐れがあるので禁止した」
要するに巨人のフロントは、ノックの際に金を賭けることを問題視してこなかったのだ。

追放になった3人の選手以外が不問に付されたのも、巨人サイドが
「野球賭博はだめだが、他の賭博は許容範囲」
と勝手に思っているからだ。
少額の金銭をかけた賭博は刑事罰に問われることはない。しかし、公営ギャンブル以外の賭博が違法行為であるのは間違いない。
「少額」と言ったが、巨人の選手は100円や1000円の金を賭けていたわけではない。万札を賭けていた。一般人の感覚では、十分に高額のはずだ。
その上に、違法なバカラ賭博をやっていた選手もいた。
松本の証言通り、賭博で100万円の借財ができた選手もいるのである。
「週刊文春」がこれを暴いても、巨人は「問題ない」でやり過ごそうとしているのである。

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巨人は、2001年前後、阿部慎之助や上原浩治、高橋由伸らの選手を獲得する際に、NPBの申し合わせで決めていた1.5億円をはるかに上回る金銭を供与していた。これは清武ネタだといわれているが、これが朝日新聞に掲載された際に
「違法性はないので、問題はない」
で突っぱねた。

これも、今回の野球賭博問題と全く同じである。

社会的に問題があっても、業界内の申し合わせに背いていても、違法でなければ、よし違法であっても警察に捕まらなければ、問題はないとしているのだ。

日本では、一般の人々は「法律に触れなければ何をしてもよい」と思って生活しているわけではない。
法律以前に、日本には様々な社会の規範、ルールがある。
順番に並んで電車に乗ることや、ごみを決められた日に分別して出すことや、町内会の取り決めに従って清掃をすることなどなど。

それを破っても「違法」とは言えないから、よほど目に余ることをしない限り警察に捕まることはないが、そうした規範、ルールを守ればこそ、社会の一員として生活できるのだ。

ビジネスの世界でも、マナーのレベルから、社会慣習、申し合わせ、業界の商慣行まで、たくさんのルールやマナーがある。いやしくも日本中に名前が知られた名門企業は、ルールやマナーでも最高レベルの規範意識があることを期待されると思うが。

ましてやプロ野球は、文部科学省管轄だ。公共性が極めて強い事業だ。厳しいコンプライアンス意識が求められるのはもとより、社会的なマナーや常識もわきまえていて当然ではないのか。

「ファンゴで、金を賭けていても、練習の一環だから問題ない」
「寮や球場のロッカールームでトランプやマージャンをしていても、野球賭博ではないから問題ない」
という認識は、そういう存在として正しいのか。

私は巨人だけがそうなのか、それともNPB全体がそういう体質なのか、確かめるすべを持たないが、深刻なことだと思う。

サッカーは、自分たちが「社会にどんな形で貢献できるか」を考えている。
サポーターの人種差別的な発言に対し「そこまでしなくても」と思うくらい厳しい処分をするのも、サッカーが社会の範たる存在であるべきだという認識による。
サッカー界は「法律に触れなければOK」とは思っていないはずだ(こういうことを書くと、またサッカーの悪口を言いたくて仕方がない輩がわんわん来ると思うが、私はサッカー界に問題がないとは一言も言ってないよ)。

NPBの熊崎コミッショナーは「法の番人」たる検事出身だが、まさか「法に触れていないからOK」と考えているわけではないだろう。

この辺でしっかり指導力を発揮しないと、NPBは社会から置いてけぼりを食らうと思う。



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