ベスト8は奈良県の郡山高校戦、楽勝だった。
私が子供の頃、奈良県代表と言えば天理か郡山だったが、智弁の台頭に伴って影が薄くなっていた。

この大会の横浜は、攻めの効率が悪かった。
2回、松坂が二塁打で先制、斉藤が送るも佐藤がスクイズ失敗。2回から14安打も放ちながらわずか4点、残塁は15にも上った。
横浜、渡辺監督は控え投手の袴塚健次に「6点差になったら行くぞ」と伝えていたが、ついにその機会は訪れなかった。
試合後「うちは松坂一人のチームじゃないんだ」と苦々しく語っている。
松坂は1回二死一三塁のピンチになったが、郡山のサインプレーを見抜いて本塁で殺してからは、全く危なげない投球だった。
このときの郡山のメンバーからプロ入りした選手はいない。
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