巨人の老川祥一新オーナーが就任会見を行った。白髪の上品な紳士。いかにもエリート記者上がりという感じである。
報知新聞
「再生というより新生。はつらつたる巨人軍にしていかないといけない」と、規律の確立、信頼回復に向け、一から改革に取り組む決意を示した。
新オーナーは、これまでこのクラスの人は出席していなかった「紀律委員会」に出席するという。
その席上では
「(賭博問題の)背景をしっかり分析して、というところからスタートしないと、また同じことになる」と危機感を募らせ、「なぜ起きたかというところも深く掘り下げる」
再発防止に向けては「情報が大事」と強調。「誰が最近妙な遊びをしているとか、見逃して、または見ていても気付かなくて、やっている当人たちは誰からも文句を言われないから大丈夫と錯覚して、というのは一般論的に組織の中にあると思う」と続けた。
手腕に期待したいところだが、あまり期待できないかもしれない。
昨日も話した通り、74歳という年齢は、一般論で言えば、先頭に立って改革をするには歳がいきすぎている。
もちろん、この年齢でもどんどん改革を断行する人はいる。
土光敏夫が、東芝の再建を任されたのは69歳の時だった。土光はそれを成し遂げた。政府の第二次臨時行政調査会の会長に就任したのは85歳の時だった。ここでも国鉄、電電、専売公社の民営化など、大きな成果を残した。
だから年齢だけで判断してはいけない。
しかし、これも一般論だがこうした改革断行をするのは、宮仕えをするサラリーマンではなく、経営者上がりである。
改革はどうしても独断専横になる。向こう傷をものともせず、強引に推し進めなくてはならない。ふつうはすぐに成果を上げることを求められる。時間がないから、決定のプロセスを踏まなかったり、反対勢力に強権を振るうなど、独裁的な力、いわゆる「剛腕」を振るわなくてはならない。
新オーナーは「政治部畑」を歩いてきたようだ。つまり渡辺恒雄の純然たる部下だ。
讀賣新聞は、ここまで何度も内紛を続けてきた。
古くから政治部と社会部の対立、大阪本社と東京本社の対立があったようだ。
渡辺恒雄は政治部、東京の首魁として、社会部、大阪の「黒田軍団」を弾圧。1987年にはボスの黒田清や大谷昭宏を放逐した。
この戦いは、実際には大阪本社の後ろ盾だった務臺光雄を追い落とすことが目的だったといわれる。
こうした権力闘争の中で、老川は着実に出世した。つまり闘争の最終勝利者である渡辺恒雄の忠実な部下だった。
この経歴からして、現在の巨人の体制、体質を根本から変革することは無理だと思われる。ナベツネに指名されたと思われるが、
「おい、徹底的にやれよ、キミ」
とは言われていないと思う。
「おい、さっさと終わらせろ。これ以上広げるなよ」
というところではないか。
そもそも、今の讀賣グループの中に改革が断行できる人間はいないだろう。
これは朝日でも毎日でも同様だ。日本の新聞社は、そういう骨のある人間が出世するような仕組みにはなっていない。だから、組織が硬直化し、社会の動きについていけなくなっているのだ。
讀賣グループで、剛腕をふるって改革が断行できる人間はたった一人。
渡辺恒雄その人だ。
おそらく巨人軍の実態をほとんど知らずに放言を続けていると思うが、腐った中身を聞かされれば、
「なんだそれは、許さん!」
と怒り出すかもしれない。そして89歳の高齢ながら、
「お前らみんなやめろ!」
と首にして、大好きな法曹界の人間(82歳じゃなく、もっと若い人を)を組織に入れて、徹底的な粛清をするかもしれない。
老骨に鞭打ってがんばるのではないか。そのせいで寿命が縮まれば、一石二鳥だ。
窮余の一策ではあるが、私は、巨人大逆転の最後の手として、ナベツネの再登板を要求する。河内山宗俊ではないが「悪に強いは善にもと」である。いや、冗談じゃなくて、マジで。
江尻良文氏がそういう記事を書いてくれればいいのだが。
1966年池永正明、全登板成績【ヒジ痛と闘いながらのピッチング】
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