その実力は周囲も認めるところだが、活躍の場がなかった投手だ。

宮崎日大高からJR九州を経て2005年大社ドラフト3巡目でソフトバンクに入団。希望枠は松田宣浩、5巡目に本多雄一がいた。
JR九州では樋口龍美に次ぐ二番手だったが、サイドスローから140km/h後半の伸びのある速球で、玄人筋に評価される存在だった。

キャリアSTATS

Fujioka-01


新人のキャンプ中からその完成度は際立っていた。
1年目からセットアッパーとして起用され、チーム最多の62試合に登板。これは当時の新人最多登板記録でもあった。
しかし翌年以降、故障もあって低迷する。

即戦力として1年目に酷使された投手が2年目以降低迷するのはよくあるパターンだ。
2009年5月には先発に転向。しかし成績はパッとしなかった。

2012年は、6月に1軍登録されて以降、18試合連続無失点、以後も安定した投球を続けた。

2013年も、まずまずの成績だったが、故障や体調不良があったためか首脳陣の信頼を得ることができず、日ハムの鶴岡慎也の人的補償で日本ハムに移籍。

日本ハムではろくに出場機会も与えられなかった。

ファームの成績

Fujioka-02


あまりファームの試合に出ていない。
この投手は「一軍の救援投手」という評価が定まっていたのだろう。しかし二軍でも目覚ましい成績は上げていない。

3月30日に金銭トレードが決定。

ソフトバンク、日ハムと投手力が充実したチームにいたために浮上できなかった印象もある。

層の薄いDeNA投手陣でどれくらいやるか、今後、注目していきたい。

1953年宮崎一夫、全登板成績【リリーフで奮投】


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