すでにたばともさんが紹介している通り。杉浦忠が衰えた後の南海投手陣を支えた。
キャリアSTATS
大分別府鶴見ケ丘高校卒。同じ別府市の別府緑丘高校、稲尾和久の1学年下。
元女学校、それほど強い学校ではなく甲子園出場はなし。めぼしいプロ野球選手も三浦以外はいない。
1957年に南海に入団、当初は救援投手だったが、1962年、1年後輩の杉浦忠が成績を落とす中で17勝を挙げ、19勝の皆川睦男とともに先発の柱となった。
チームの勝ち頭になったのは1969年だけだが、安定した成績を上げる。
1973年に太平洋クラブライオンズに移籍、以後も先発投手として活躍した。
キャリア19年は当時としては長い。
引退してからはコーチ、スカウトを経て、大阪キタ新地でフグ料理屋「三浦屋」を経営。バブルの頃に行ったことがある。一人2万円くらい。東京の相場では高くないが、大阪的には高級店だ。
3年ほど前、長谷川晶一さんに「どんなお店ですか」と聞かれたのを覚えている。ライオンズの本のために取材をしたのだ。
長谷川さんのことだから、じっくり話を聞いたはずだが、出来上がった本には短いコメントしかなかった、分厚い取材の一端を垣間見た気がした。
確か野村克也の悪口が多かったと聞いたが、貴重なインタビューになったはずだ。
1968年三浦清弘、全登板成績
1969年三浦清弘、全登板成績
1962年三浦清弘、全登板成績【6年目の初完投勝利・2ケタ勝利】
1965年三浦清弘、全登板成績【最優秀防御率に輝く】
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