「週べ」の原稿は、ネット上でほとんど流通しないようだ。「週べ」のHPにはテキストで記事が一部上がっているが、注目度が低いようだ。あかんやろ、それでは。
「週刊ベースボール」の最新号の「短期集中連載」は、また清原和博のドキュメントが復活している。
1989年9月のロッテ戦でのバット投げ、暴行事件。翌90年、自主トレに恋人を同伴した話など、徐々に「大きな顔をしはじめる」清原が描かれている。22歳の話だ。
別に批判しなくても、清原の行状をそのまま載せるだけで意義があるだろう。

今号の「週べ」は、記録することに徹している。
NPBは、2日前に不祥事を洗いざらい公表して、開幕を強行したが、そのいきさつ、各球団が公表した不祥事や、球団ごとの処分をそのまま記録している。
これは重要なことだ。
NPBや、球団はできることなら、ファンはこのことを早く忘れてほしいと思っている。
これをネットではなく、紙媒体で書き記しておくことは野球史を考えるうえでも有意義だ。

ただし、問題の幕引きを図ったNPBに対して
「もちろん、本当の意味ですべてが終わったわけではない」
としながらも
「願わくば、シーズンの戦いに水を差すような流れにはなってほしくないと切に思う」
はおかしくないか。
水を差そうが、どうなろうが、真相が洗いざらい明らかにされる方が良いはずだ。
この文章は、「週べ」がどんな立ち位置にいるのか、疑問を抱かせる。

今回は、重要な記事、インタビューが2つ載っている。

一つは連載中の野村克也のコラム。
野球賭博、清原の問題について、言及している。

1969年の「黒い霧事件」では、近鉄の遊撃手に八百長行為があったように書いている。近鉄で処分を受けた選手はいないので、ちょっと驚いた。
野村は当時の野球選手が、試合が終わって宿舎に帰ると、多くの選手がユニフォームを着たまま麻雀や花札を始めたと書いている。食事もマージャンの間。当時の野球選手は「飲む」か「打つ」かしかなかったのだ(「買う」は書いていないが当然あったはずだ)。

野村はそういう連中に混ざらず、野球に徹したことで今の自分があると書いている。

野村は飲みに行くにしても、場末の飲み屋ではなく一流の店に行き、サントリーの佐治敬三など一流の人物と交際したとも書いている。おそらくは、鶴岡一人の教えだろう。

スポーツをしている人は知らず知らずのうちに判断力がつくはずなのに、清原にしても野球賭博の4投手にしても、「なぜ子どもでもできるような善悪の判断がつかなかったのか」と断じている。

きれいごとのような気もするが、一面の真実だろう。
現代という時代は、年を食っても自我が確立できない人が多い。野村の時代に比べて「いい年をした子供」が多い時代だと言えよう。

もう一つ、江本孟紀のインタビューは辛辣だ。

江本も、今の選手は「幼稚だ」と切り捨てている。
「円陣声出し金銭授受」は、球界の幼稚化の表れだとし、フロントがそれを注意できないことを問題視した。
球団はモチベーションアップなどと言い訳したが
「とにかく発想自体が幼稚」と断じた。
こうした背景には「どうやって稼いだ金か、実感がない」ことがあるとした。
江本は明快に、「試合の勝った負けたにお金をかけた時点でバクチですよ」と言った。
「プロ野球という最高の舞台で最高の技術を競い合っているというプライドがない」はまさに正論。

そして球団には「客に媚びるようなことばかりしてはダメ。ユニフォームを配って球場に来てもらっても仕方がない」「技術と個性でお客さんと勝負しなければいけない世界」と言い切った。

ただし江本は野球賭博と「声出し金銭授受」はリンクはしていないとしている。

巨人のGMになるとすれば、江本はかかわった選手の年俸を半分にし、その分入場料をタダにすべきとも述べている。

江本は選手の「幼稚さ」とともに、フロントにも問題があるとし「プロ野球の世界とはどういうものか、勉強をしてほしい」と言及した。

正統派の意見だと思う。
こういう意見が声高に叫ばれるべきだと思う。

やくみつるは今号でも、声出しを揶揄した漫画を描いた。

ONLY YESTERDAYでは、大内隆雄が「小バクチ」を情けないとし、「プロ野球という立派な職業」が世の中にどうやって認められるようになったかを教えてやる必要がある、と書いている。

充実していたのではないだろうか。
野球界の機関誌を標榜するなら「週べ」は、今後も、口うるさくこの問題を取り上げてほしい。
風化させないために努力してほしい。

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