今週のセンテンス・スプリングは、野球賭博関連の記事はなし。世はこぞって舛添舛添である。「週べ」の集中連載もなくなったし、波静かではある。清原裁判については短い記事が載っている。

社会部記者の声として
「清原がいつから、どのように薬物に手を染めたのか、本当のところはわからないまま終わった印象」
と書いている。
確かにその部分がポイントだ。清原の直接の容疑は、今年2月に密売人小林和之から覚せい剤を譲り受け、これを所持し、使用したことだが、これがはじめてではなく、その後ろが当然ある。

小林自身も「それを言うのは怖い」と語っており、おそらくは裏社会につながっているのだと思うが、清原がこの部分で口を濁していたのは、
1.心酔しているといわれる暴力団への義理立てか、
2.暴力団の報復を恐れたのか、
3.裁判終了後、覚せい剤の入手ルートを確保しようと思ったのか
そのいずれかだ。田代まさしは、3だと断じていたが、どの線にしろ、清原は裏社会とのつながりを断ち切れていないのは間違いないところだ。

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センテンス・スプリングは、清原と小林を引き合わせた元会社経営者Aと、支援者の不動産会社社長X、飲食チェーン経営者Yの存在を上げている。
Aは覚せい剤取締法違反の罪で、小林と同時期に服役していた。XとYにも同じ容疑がかかっているが、逮捕には至っていない。

A、X、Yいずれの人物が今後の清原の面倒を見ることになっても、覚せい剤とつながりを断ち切ることはできないだろう。
清原の周囲に最後までいたのは、こういう「シャブ中経営者」だった。これが、最悪の取り巻きだったことに疑いの余地はない。

文春の報道ではないが、テレビなどでは清原の保釈保証金500万円は、清原の弁護士が立て替えたと報じている。
もともと500万円という保釈保証金は、生涯年俸50億と豪語した清原にしては、非常に少額だった。裁判所は逮捕時に清原の所持金や預金通帳など洗いざらいを精査する。そのうえで、清原の支払い能力は500万円が限度と踏んだのだろう。
しかも、その金は清原や実家ではなく、弁護士が立て替えたのだ。経済的にも相当困窮していたということになるだろう。

週刊文春は清原の身の振り先として、「地下格闘技」をあげている。
これは文字通りアウトロー格闘技団体である。それだけに過激だとされ経済規模も小さいが、贅沢が身に染みた清原がこういうところで更生できるとは思えない。
覚せい剤などの誘惑も大きいのではないか。

また山梨県の私立高校が、受け入れ先として名乗りを上げているが、これは明らかな売名行為だろう。世間の注目を浴びたいという下心が透けて見える。

本当に覚せい剤をやめたいという気持ちがあるのなら、やはり厚生施設に入って、専門的な治療を受けることだろう。山梨の私立学校など支援者は、本気で支援をするのならその資金を提供すべきだろう。

江夏豊は2年4か月の間、静岡刑務所に服役した。この間をどのように過ごしたかはつまびらかではないが、薬物を完全に断ち切ることができたのは間違いないだろう。
荒療治ではあるが、清原もそういう境遇に身を置くことが一番いいのだ。

私の間接的な知り合いで、薬物の常習者がいた(薬の名前は知らない)。たびたびつかまって刑務所に服役した。彼は出所後、身元引受人の手で、北洋のカニ漁船の乗組員にされた。
この船は数か月寄港しないで、ひたすらカニかごを沈めては、水揚げをしていく。そして船内で加工もする。
約1年間、この仕事をして薬物は完全に抜けたという。似たような境遇の乗組員もいたようだ。

そういう「強制的な隔離」が必要だと思う。


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