ダルビッシュと同じ時間帯にマエケンも投げていた。かれも腫れ物に触るような扱いだった。

5月6日に対戦して、負けたメッツ戦。投手は2本塁打を打たれたシンダ―ガード。いわく因縁のある対戦。

0528-Maeken


立ち上がり、いきなりグランダーソンに右前打を打たれるが、アズドルバル・カブレラを併殺打に打ち取る。
かなり緊張している。
ここでコンフォルトの打球はマエケンを直撃し、三塁内野安打となる。手の甲に当たった。かなり長い治療。ここで降板かと思われたが、続投。

前田健太はこの試合、スライダーを多投した。シンカー系のボールを投げずに緩急もそれほどつけず、スライダーでなんとか打ち取っていた。テンポが良く、どんどん投げ込んでいたのが良かったのではないか。

この2チームは、昨年、マエケンとシンダ―ガードよりもはるかに深刻な因縁ができていた。9月10日、リーグ・チャンピオンシップの第2戦、安打で出塁したドジャースの代打のアトリーが、ケンドリックの二ゴロで二進し、メッツの遊撃手ルーベン・テハダにスライディング。テハダはアトリーの上体にぶつかって宙を舞い、吹っ飛ばされて右足腓骨を骨折した。

このときのメッツの投手はシンダ―ガード。
彼は3回、前田健太のバントを捕ゴロに仕留めた後に、アトリーとの2度目の対戦で、頭部付近に速球を投げ込んで、一発イジェクトとなった。
当てるためではないように見えたが、明らかな威嚇だった。J Sportsでは、蛭間さんがうなっている。
シンダ―ガードと前田の対戦はなし。これも因縁めいてきた。

この因縁もあって、マエケンへの注目度が減った。

0-0の5回で退いたがその直後の6回表、当のアトリーが代わったバレットから一発を打ち、プイグもタイムリー。また蛭間さんがうなっている。

マエケンは4勝目を挙げたが、この試合では彼は脇役だった。
75球で下げたのは、前の登板でも70球過ぎから突然崩れたことがあったのだろう。

まだ十分に信用回復していない印象だ。

9月の因縁試合もドジャースが勝ったが、この試合もドジャース。ケンカに強いチームだ。



1976年渡辺弘基、全登板成績【73試合に登板、当時のセ・リーグ新記録】

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