イチロー3000本の日に、もう一人の3000本安打者が引退を表明した。
スポニチ
「私はこのチームが好きで、野球が好きだ。この2つに別れを言う時が来た。ずっと野球をし続けたかったが、それは不可能なことだ」
今年の春、A-RODは「来年引退する」と割と深刻そうな顔で言ったと記憶する。彼にとっては重大発表だったかもしれないが、多くの人は「なんだ契約満了までやるのか、厚かましい」と思ったはずだ。
キャリアSTATS 左端は年俸

1993年ドラフト1巡目、いの1番でマリナーズに入団。
トリ・ハンターやデレク・リー、ジェイソン・バリテック、スコット・ローレン、クリス・カーペンター、ジェフ・スーパンなどが同期。
翌年の内にMLBに昇格。1994年7月8日のレッドソックス戦。9番遊撃で先発。三塁はエドガー・マルチネス、中堅にケン・グリフィ、この試合では安打が出ず、翌9日、同じカードの4回、バルデスからレッドソックス三塁、スコット・クーパーへの内野安打。
本格デビューは1996年、いきなり.358の高打率で首位打者。このころは中距離打者の印象だったが、98年から本塁打が増えて、屈指の強打者になる。遊撃手としてもジーターと並ぶ好守だった。
彼のイメージが悪化するのは2001年、イチローと入れ替わりにマリナーズからレンジャーズに移ったタイミングだろう。10年2.52億ドルという巨額の契約が、シアトルのファンのブーイングにつながった。
レンジャーズではさらに打棒は振るったが、チームは3年連続最下位、彼の生徒は言えないが、「活躍しても不良資産」とみなされ、契約ごとヤンキーズに売却された。
2003年からヤンキースにいた松井秀喜は、試合前のA-RODの打撃練習を見て「これはかなわない」と言った。
遊撃にジーターがいるため三塁に。
ここでも好成績を上げたがメディア対応の悪さ、そしてポストシーズンでの不振もあって、ネガティブな評価も多かった。
2007年オフにレンジャーズ時代の契約を破棄し、10年2.75億ドルで契約。
2009年に薬物疑惑が明るみに出て、A-RODの評判はさらに悪化。2013年の「バイオジェネシス・スキャンダル」で、A-RODのイメージは地に堕ちた。
2014年には出場停止処分を課される。
2015年は、33本塁打とまずまずの結果を残すが、今年は不振を極めた。
恐らくはヤンキース経営陣の圧力もあっての引退だろう。
アレックス・ロドリゲスは、エージェント、スコット・ボラスの「最高傑作」と言っていいだろう。一人のアスリートが4億ドルもの金を稼いだのだから。
しかし、そのことがA-RODに「拝金主義者」というイメージを与えた。そして巨額契約のプレッシャーが、彼をして薬物使用に走らせたのだと思う。
結果的にA-RODはMLBに蔓延する「複数年大型契約」の愚かさの象徴になったと言えよう。一昨日のタシェアラもボラスの顧客だが、このビジネスモデルには陰りが見えているのではないか。
アレックス・ロドリゲスは、パワーヒッターと言う印象があまりない。まるで剣を一閃するようにバットを薙ぎ払うと球はどこまでも飛んでいく。打撃センスの塊という感じだった。スイングが速いのだろうが、オルティーズやスタントンなどと印象が全く違う。
シャープな体と言い、ストッキングを高くたくし上げた長い脚と言い、美しい選手だったと思う(最近は腹がだぶついているが)。
「残念」と言う言葉で締めくくらざるを得ないのが、本当に残念だ。
1979年山田久志、全登板成績【3年ぶりの20勝到達も、チームはV5ならず】
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成績も抜群だから、全盛期は本当に華のある選手でしたよね