イチローが世に出てしばらくして、印象が被って見えたのは中田英寿だった。彼も国内でずば抜けた実績を残して、海外に移籍したが、二人に共通していたのは「孤独」の影だった。


インタビューで二人はあまり仲間や他者への感謝を口にしない。そしてメディアがよくやる、いかにも「こう言ってほしそうな質問」に対して期待通りの答えを返さない点もよく似ていた。
二人は自分の才能を恃みとしてステイタスを上げたのであり、凡百の選手のように師弟関係や同期、同窓などの人間関係を伝手として地位をつかんだ選手ではない。
また、自分の将来は自分で決めるという強い意志の力も感じた。

中田英寿はその後、やや違うイメージに変化していったが(愛読書がシドニー・シェルダンだと聞いてがっかりした)、イチローはアメリカに行っても全く変わることなく「一人で生きていく」ことを貫いているように思えた。

練習などで若手と一緒に汗を流すのは厭わないが、チーム内で派閥を作ったりすることはない。選手との関係は常に1対1。インタビューでもベンチ内でもサービストークは言わない。
そういうイチローの姿勢は、個人主義の国たるアメリカでも摩擦を生むことがあった。マリナーズのベテラン、ブーンやオルルードなどが「彼は自分のためだけにプレーをしている」とイチローを非難したという。ベルトレとの関係もよくはなかったと聞いた。

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イチローはつらかっただろうが、それについて反論することもなく好成績を上げ続け、2012年、契約満了の年の夏に、マリナーズを去ったのだ。
この時の彼のつらそうな会見は心にしみた。38歳、いつの間にか頭髪に白いものが混じり、顔のしわも深くなっていた。
それはとても、「あこがれのヤンキースでプレーできる喜び」「ジーターやA=RODのチームメイトになる期待感」に満ちているとは言えなかった。
彼は「マリナーズにいることができなくなった」自身の境遇を受け入れたのだ。
イチローの一番美しい姿は、シアトルに戻ってきて、「背番号31」になったユニフォーム姿で外野のファンに向かって手を挙げたシーンだと思う。

イチローがそうまでして孤独を守ったのは、ひとえに自らの「ルーティン」を壊したくなかったからだろう。自分だけが知っている「打撃の感覚」、そこへ至るこまごまとした「プロセス」は、イチローが編み出したものであり、彼だけが知悉しているものだった。
そこにはどんな助言も、批評も、励ましさえも必要ではなかったはずだ。

「孤高」という言葉がある。それは業績や才能が傑出した人間が、いつしか周囲から懸絶した存在になることを言うが、イチローを見ていると「孤高」はいつしかそうなるのではなく、進んでそのような存在になろうとするもののようである。
イチローは自らの打撃のために、あえて「孤高」になったのではないか。

イチローには8歳年上の妻と愛犬「一弓」がいる。家族と言えるのはこれだけだろう。
3000本安打の後、父の鈴木宜之が報道陣のインタビューに答えていたが、いかにも「マスメディアが喜びそうな」ことを話し続けるチチローは、もはやイチローには煩わしいだけの存在だろう。



私が大好きな小説に、吉村昭の「冬の鷹」がある。
「解体新書」の翻訳をめぐる蘭学者の物語だ。この業績は杉田玄白の名でかたられることが多いが、玄白は実際には蘭語をそれほど解せず、翻訳された業績を世間に喧伝したり、出版事業を手掛けることで盛名を高め、当代一の蘭方医となり、多くの門弟を抱える大家になった。
これに対し、実際の翻訳事業を推進した前野良沢は、名利を求めず学業にまい進した。
業成った後、二人は久々に宴席で再開するが、日本一の医家となり贅沢な着物をまとった杉田玄白に対し、着古した質素な身なりで宴席に連なった前野良沢はまさに「孤高」の存在だった。
この小説の白眉は玄白と良沢の対比の美しさを描いたシーンだが、イチローは前野良沢に重なって見える。
もちろん、彼とて名利は十分に得ただろうが、自らの道を追い求めることによってそぎ落とされた様々なもの、失ったもの、そしてその向こうに見えるイチローの孤独な姿は、まさに「冬の鷹」のようである。

私はそんなイチローの孤独な姿を愛している。そのままの姿でバットを擱く日を静かに待ちたいと思う。

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